サーカス、クラウン(道化)等を中心としたサーカスショー、ステージショー、ストリートパフォーマンスなど、イベントやご依頼に応じたショーを企画制作、海外からサーカスアーティストの招聘などを行なう会社のサイトです。
facebook twitter



卓也
 

ウズベキスタン・サーカス紀行

(2006年4月7日〜11日)
2006年7月から4ヶ月間、北海道虻田郡のルスツリゾートと兵庫県の姫路セントラルパークで行なわれるサーカスに出演するグループの下見に、ウズベキスタン国立サーカスを訪れる。

4月7日(金)4月8日(土)4月9日(日)4月10日(月)4月11日(火)4月12日(水)

4月7日(金)東京→タシケント
 朝6:20に家を発ち、渋谷から成田エクスプレスに乗って成田空港に8:10分に到着。第2ターミナルの一番端にあるYカウンターで大島さんと合流。がら空きのカウンターでチェックインを済ませ、免税店で土産用の日本酒を2本仕入れて、10:15いざ出発。初めて乗るウズベキスタン航空(HY528)は成田を出て、一度関西空港に1時間程立ち寄り、タシケントへ向かう。(2013年2月現在は成田タシケント間の直行のみです。)タシケントへ向かう飛行機は殆どが日本人の中高年者だった。タシケント経由でトルコへ行くツアー客だったようだ。丁度ユーラシア大陸の中心に位置するタシケント、理にかなったトランジットだと思う。

「天山山脈だ!イシュククル湖だ!あれはフェルガナ盆地に違いない!」と、飛行機の窓の外を眺めては、シルクロード好きの僕は一人興奮のるつぼ。

あまり期待していなかったウズベキスタン航空の機内食。美味しい。

現地時間17:30にタシケントに到着。空港はウズベキスタン航空の飛行機だらけ

世界史ばかりを勉強していた高校時代、とくに好きだった中央アジア史において、タシケントは古都サマルカンドと並んで、誉れあるオアシス都市として何度も出てきた地名だ。いつかは訪れたいと思っていた地に着陸し、にわかに興奮してくる。入国審査はあっという間に終わり通関もスムーズ。通関のおにいさんは日本語で「こんにちは」と愛想がいい。それだけシルクロードを訪れるツアーに日本人が訪れているのだろうと想像できる。空港には団長の夫のマラートさんが、なぜか白いリムジンで迎えにきてくれた。「リムジンで迎えに来てほしい」という大島さんの冗談を真に受けてしまったようだ。60歳を超えるマラートさんだが、カウボーイハットを被った筋肉質で若々しい。タシケントの気温は4月上旬で25℃。夏のような日差し。タシケントの国立サーカスが用意してくれた舞台サーカスのホテルにチェックイン。数日前からタシケント全域でお湯が出なくなって、この舞台サーカスホテルだけが、お湯がでるとのことでそこを用意してくれた。彼曰く、タシケントのシェラトンホテルでもお湯がでない、とのことだ。荷物を置いて今度は彼らが泊まっているサーカスホテルに移動し、私たちが招聘するサーカス団の団長、ナージャ・アリエーヴァさんに会う。彼女はACCと古くから親交があるカザフスタンのサーカスアーティスト、ローマ・シャリポフさんのお姉さん。彼女はタジキスタン出身で、夫のマラートと共に13名のサーカス団を率いてウズベキスタン国立サーカスで働いている。この夫婦はサーカスの教師としても優秀で、サーカスを目指す子供たちの親が、二人にサーカスの指導を頼みに来る。決して裕福とはいえないウズベキスタンにおいて、外貨を稼げる優秀なサーカスアーティストは憧れの的なのだろう。ナージャと団員達が用意してくれた食事を食べながら、ウズベキスタンの国情、サーカスにまつわる話しをつぶさに聞く。

立ち並ぶウォッカの瓶

マラート、大島さん、私と3人でウォッカの瓶を2本空けてから、1時頃お開き。初日から飛ばしている。ナージャさんの息子アンヴァールに舞台サーカスのホテルに送ってもらい、そのまま就寝。

4月8日(金)タシケント

 朝の9時にマラートが迎えにくる。ナージャさんの部屋に行き、朝食をごちそうになる。ハムやサラダと共にカーシャという少し甘い粥をごちそうになる。今日は12:00からナージャさん達率いる12名のグループ(アリエーヴァ・グループ)がサーカスショーを見せてくれる日だ。すなわち日本に来日するメンバー達が、日本から来たエージェント2人に試演を見せる日でもあり、ナージャさん、マラートさんが緊張しているのが分かる。朝食を食べてサーカス場へ向かう。地下鉄チョルスー駅付近の広場にそびえ立っている、巨大なドーム型の建物がサーカス場だ。

旧ソ連圏の国立サーカスの建物を幾つか見た事があるが、基本的にどこの国もほとんど似たような作りになっている。
試演が始まる時間まで、マラートがサーカス場の稽古場、

調教室、楽屋、会計室など、様々な場所を見せてくれる。

サーカス場内のモザイク画

不思議な形のサーカス場への入り口

サーカス場でビデオ、カメラなどを用意していると、ウズベキスタン国立サーカスの総裁(2006年当時)が現れご挨拶。ウズベキスタンのビジネスから政界にわたり各方面に幅広く顔の効く人で、わりとおっかない人だと聞いていたが、小柄でとても紳士的な印象だ。
 アリエーヴァグループのショーが始まる。パーチ、

空中ロープ、ハンドアクロバット、マラートの鞭、空中リング、ドールコントーション、ハイワイヤーと演技が続く。

レベルも高く、シルクロードを意識した演出も素晴らしく、とても良いプログラムだった。途中、アリエーヴァグループではない二人組のクラウンが何度か登場するのだが、残念ながらこちらはあまり面白くなかった。良いクラウンに出会うのはなかなか難しい。公演後、外に出て、宣伝用の写真撮影。グループのメンバーも無事に試演会が終わって安堵した様子で愛想も良い。

団長も一緒に

写真撮影の後、国立サーカス総裁の部屋に行って日本からの土産を渡し、日本での公演場所の会場写真、図面、日々の生活場所の写真等を渡し、契約について打ち合わせ。和やかに話は進む。
 打ち合わせの後、ナージャさんお薦めのレストランで遅い昼食を取りに行く。このレストラン家族経営の大きなレストランで、シンプルでとても良いレストランだった。

中央アジア特有の多種多様な顔をした、たくさんのウェイトレス達が忙しく動く。

皆、明るくて良く働く。( マラートとお店のスタッフの娘さん)

ナージャさんが頼んでくれたのは、小さい壷に入った肉と野菜のスープ、

シャシリク(串焼き)、トマトとキュウリのサラダ、そして隣国カザフスタンの伝統料理のベシュバルマク(肉入りきしめん、というかきしめん入り肉というか)

を食べる。今日の試演が無事に終わった事を、ワインとウォッカで乾杯しながらどれも美味しく頂く。日本での査証申請に必要な書類を説明し、私たちの帰国までに用意をしてくれるよう頼む。もう、ひたすら満腹。ホテルに帰って一休みした後、ナージャさん達のサーカスホテルのお湯がでるようになったので、引っ越し。荷物を運んだ後、ナージャさんの部屋で再びウォッカを飲みながら夕食。私たちが食事をしていると、ナージャさんのお弟や、アリエーヴァグループの若いメンバーが代わる代わる訪れる。皆、今日の試演会が無事に終わり、ホッとした様子で人懐っこい。試演について私たちの感想を伝えると、ナージャさんたちも嬉しそうだった。(ナージャさん家の猫)

昨年の他のグループがルスツリゾートと姫路セントラルパークで公演した時の映像を見ながら、再度打ち合わせ。懸念していたハイワイヤーの仕込みについては、少し課題が残った。帰国したら公演地のスタッフさんに伝えなければ行けない事を絵に描いて記憶する。昨年(2005年)、ルスツと姫路に出演していた空中ストラップのデュオがウズベク出身だったので、ナージャさんは良く知っていた。彼らは2008年から現在(2013年)に至までデュ・ソレイユの『Corteo』で働いている。世界中に散らばるサーカスの世界は広いようでとても狭い。エージェントの評判も同じ事で、すぐに知れ渡る世界なので私たちも気を抜けない。ナージャさん達サーカス一家の物語を聞いたり、マラートがローラーボーラーバランスを演じている30年前のビデオを見たりしながら、楽しく飲んで23:00頃お開き。身体からウォッカが抜けない。

4月9日(日)タシケント

 7:00に起きて街中を散策。昨日25℃の暖かさだったのが、嘘の様に寒い。チョルスー・バザールが近くなので、まずはそこへ向かう。近代化されたタシケントの街の中で旧市街に位置するこのバザールは、タシケント最大のバザールだ。
サーカス場の前を通り

旧市街を抜け

見えてきたチョルスーバザールのドーム

小高い丘の上から活気に満ちたバザールが見えた。

人との物の大量のエネルギーに一瞬で飲み込まれる。遠くから見えた屋根付きのバザールは、全体のごく一部で、歩いても歩いても新しい売り場が現れる。中心のドームでは主に香辛料、ハーブ、木の実、穀物が量り売りされていて、その脇は食肉ゾーンだ。食肉ゾーンの活気は凄まじく、巨大な肉が次々とリアカーで運ばれ、大量の肉が至る所に吊るされている。キロ売りで大きな声で商売が繰り広げられる。途中何度かリアカーに轢かれそうになった。中央ドームでペパーミントのフレッシュハーブを購入し、市場のチャイハネで朝が一番美味しいといわれるプロフを食べる。プロフとはウズベクを中心に中央アジア伝統の料理で、プロフがヨーロッパに紹介されてピラフになったという逸話も残っているそうだ。このプロフ、各チャイハネが朝早く大量に作って、市場を訪れる人や働いている人に販売する。チャイハネの従業員はみな愛想がよく、若いお姉さんが「食べて来なよ!」とさそう。昨日のレストランでも感じたが、ウズベクの人たちは皆よく働き愛想が良い。特に女性の愛想の良さに驚かされる。イスラム圏特有の愛想が良くておせっかいな所と、様々な人種が集まっている国民性、それほど厳しくない戒律のなせる技かもしれない。(憧れの地ウズベクに、甘い私)誘われるがままに、プロフとチャイを注文。

美味しい。このプロフ、なぜ朝が一番美味しいかというと、大量の油を使った料理なので、冷めてしまうとベタベタになってしまうからだ。

僕が行った時間帯はぎりぎりだったかもしれない。プロフを食べていると、日本人がめずらしいのか、はたまた日本人観光客に慣れているから話しやすいのか、途中、店の人が何度も話しかけてくる。金歯のお兄さんが、来年、空手の試合で大阪に行くから僕の住所を教えてくれ、と聞いてくる。旧ソ連圏の人は、空手や柔道、合気道など、日本に関係するなんからの格闘技をやっている人が多い。

寒くなって来たので宿舎に帰り、さっき買ったペパーミントの葉でお茶を飲む。これもまた大変美味しい。
 ナージャさんの部屋に10:00に行きしばらくすると、彼女の弟アフマットがタジキスタンから尋ねて来た。彼はサーカスとは別の仕事をしていたが、ある事情により兄ローマに誘われ、中国で動物の調教を始めたという、物腰の柔らかい不思議な紳士。しばらくするとローマもアルマティから到着。彼は西田さんや大島さんとは古くからの友人で、ACCの招聘で過去に日本に何度も来たことがある。僕は初見だったので自己紹介。握手の力が強い気さくで兄貴肌のサーカス人である。再会を祝して昼前だが早速ウォッカの瓶が空けられる。小一時間が過ぎ5人で一瓶を空けた頃、昨日のレストランを再訪。今日はハシープスプという牛肉と腸詰めの煮物。

とんでもないボリュームだが美味しくて完食。朝から食べ続けている・・・。レストランにて(右からローマ、アフマット、ナージャ、マラート、私)

 16:00からタシケントに巡業に来ているロス・ゴス・ツィルク(ロシア国立サーカス公社)の公演をサーカス場で見る。公演内容は、吊り輪、コメディアクロバット、クラウン、クイックチェンジ、ハリネズミのサーカス、フラフープ、ジャグリング、犬のサーカス、鉄棒、シャボン玉、ワシントントラピーズ、シーソー、熊のサーカス、というオーソドックスなラインナップだったが、あまり目を引く演目は無かった。吊り輪は、会社のプロモーション映像棚で見たことがあるアーティストだった。面白かったのは途中休憩中に、アンバール達がお客さん相手にパラシュートを使ったアトラクションをやっていた。

自分たちが出演しない時は良いアルバイトになるという。日本でやっても面白いかもしれない。公演後、サーカスの総裁が経営するレストランに招かれて夕食。
(後列右から;ナージャ、ローマ、大島さん、総裁、アフマット、前列:マラート)

ここでもかなり飲んだ後、街中をドライブし、ローマが宿泊している宿で再び酒盛りが始まる。かわいそうなのは運転手を務めてくれるアンバールである。明朝、彼は私たちを300km離れたサマルカンドまで連れて行ってくれるのだ。時計は12:00を回ったのでアンバールは帰る事になった。結局ローマの部屋で3時位まで飲んでそのまま寝る。ウォッカが身体から抜けない。

4月10日(月)タシケント→サマルカンド→タシケント

 朝5:30頃マラートに起こされアンバールが迎えに来ている事を知らされる。「出発だよ」と眠い目をこすって、一度自分たちの宿舎にもどり、顔を洗ってタシケントから300km離れたサマルカンドへ向かう。青の都サマルカンド、ティムール帝国の都サマルカンド、ああ、空よりも青いサマルカンド・・・。2時間ちょっとしか寝ていないのに、眼が冴えて仕方が無い。眼が冴えて仕方が無いのはサマルカンドへ行く嬉しさだけではなく、アンバールの運転のせいでもある。ちょっと、アンバールさん、飛ばし過ぎじゃないですか?

とは言っても東京--新潟間を日帰りで往復させているようなものだから仕方が無い・・。広大な大地を車は進み乾燥地帯独特の風景が目の前を通り抜ける。平野を眺めながら沢山の国々が勃興した歴史に思いを馳せ、二日酔いも手伝ってしばし、うっとりと時間が進む。しばらくすすんだ後、途中のドライブインのようなレストランで朝ご飯を食べる。
写真は大きな蒸し餃子マントゥイ。これも美味しい。

食事をしていると、見ず知らずの元サッカー選手という近所のおじさんがやって来て、食事の輪に加わり、ビールをごちそうしてくれた。素朴で人懐っこいひとが多い。
(右から、元サッカー選手のおじさん、マラート、アンバール、大島さん)

食事が終わりおじさんに別れを告げ、またクラクションを鳴らしながらアンバールが車をぶっ飛ばし始める。二日酔いはすっかり醒め、シートを掴みながら成り行きを見守る。サマルカンドに近づくと、何度も検問で止められる。警官は怪しげな計測器を車の排気口に近づけて、なんのことか分からないが「数値が高い」と、金を要求してくる。見た感じ排気ガスを計っているようで、環境税のようなものを要求しているらしい。マラートの話では、タシケントとサマルカンドはあまり仲が良くないので、タシケントナンバーの車に対する嫌がらせではないか、とのこと。サマルカンドはウズベキスタンに編入される前からもともとタジク系(ペルシャ語派)の人々が多い町で、一方、タシケントはウズベク系(トルコ諸語)が多い街である。めまぐるしく変わる国境に翻弄され、同国内でも複雑な関係があるのだろう。サーカスアーティスト達と仕事をしているとライフスタイルはもとより、実際の国境すら常に一時的なものである、と感じる事がしばしばある。11時頃、サマルカンドに到着。

サマルカンドでもっとも有名なレギスタン広場を最初に訪れる。下の写真は偶像崇拝が許されていないイスラムの世界で、動物と人面が描かれているいわく付きのシェルドル・メドレセ(神学校)。美しい青、こみ上げる喜びをどうにも隠せない私。

街そのものが世界遺産のサマルカンドには国内外から観光客が訪れる。


レギスタン広場にも沢山観光客が集まっていた。メドレセ内の部屋にたくさんの土産屋が軒を連ねていた。世界でも有数の歴史的建造物なのに、こういう所がユルい。
こういうのをみつけると、やらずにはいられないマラートおじさん。

建物内にあった20世紀初頭のサマルカンドの写真。

ひとつ、面白いサイトがあるのでご紹介しいます。
セルゲイ・プロクジン=ゴルスキーというロシアの写真家が撮影した帝政時代のロシアのカラー写真
http://www.thespektator.co.uk/spg2.html
サマルカンドは70から87ページ

レギスタン広場のを見学した後、近くのレストランで昼食。
風通しのよいレストラン

沢山のシャシリクを選ぶアンバール


サマルカンドはナンが美味しくて有名

二日酔いに嬉しいラグマン(トマトベースのうどん)は、もともとはウィグル料理で中国の拉麺の元になったといわれている。

その後、ティムール一族の墓があるグリ・アミール廟を訪れる。

黒い墓石がティムール。亡骸は地下3mに眠っているとの事。

そして、中央アジア最大のモスクでティムールの妃の名が付いた、巨大なビビハニム・モスクを巡る。

モスクの隣にあるシヤブ・バザールでは何度か日本語で声をかけられた。「シャチョウ!」と呼ばれた事も。

この街には多くの日本人が訪れている事が分かる。バザールはどこも活気に溢れていてサマルカンド名物のナンが至る所に売っていて、ナージャさんに頼まれたマラートはしこたま買い込んでいた。
コルトというしょっぱいヨーグルト玉の店を売るご婦人。

「僕も撮ってよ」と少年。

最後にティムール朝の第4代君主で科学者だったウルグ・ベクの作った天文台を見学し、

サマルカンドを後にする。
途中のドライブインでは車の窓を開けると、パンを持ったご婦人方が、強烈な売り込みにやってくる。

中にはお香を焚きながら車に近づき、煙を売る女性も現れた。たくましいご婦人たち。
帰路のアンバールの運転も相変わらず激しかった。顔を引きつらせながらの帰路。でも、私たち客の為に長距離を一人で運転してくれているので、文句も言えない。しかし、いつの間にか熟睡していた。20:30頃タシケントのホテルに無事到着。アンバールに長旅のお礼をいう。この日も沢山人が集まるナージャの部屋で夕食を食べ、またそこでウォッカを飲んで24時頃就寝。仕事を忘れてすっかり楽しんだ一日。

4月11日(火)タシケント

10時にナージャの部屋で朝食をたべて、タジキスタンに帰るアフマットにお別れをする。この日は、総裁に契約書にサインをしてもらう予定だったのだが、総裁の身内が火事にあう不幸があって、出勤の目処がつかなくなった。仕方が無いので、いつものレストランで昼食を食べ、街を散歩し、アラル・バザールとチョルスーバザールへ行き、土産を買いに行く。

午後サーカス場をたずねてみるが、やはり総裁には会えなかった。帰国は明日に迫っている。後日郵送でもらうという手もあるが、なんとなく気もそぞろ。部屋にもどり帰国の準備。
 夜20時過ぎにナージャさん宅で夕食。アリエーヴァサーカスの女性アーティスト達が、沢山料理を作ってくれていた。ウズベクの女性たちは元気でよく働く。でも同時に、かなり根強い男社会である事も感じられる。在留資格認定書証明書取得に必要な、メンバーの顔写真、芸歴書、そして宴会最後の方に総裁のサインが入った契約書が届き、安堵。帰国前の最後の宴会ということで、沢山のサーカスメンバーが訪れてくれた。ナージャさんとマラートのなれそめや、ナージャさんとローマたちの兄弟家族の話を聞きながら日付が変わるまで宴会は続いた。

4月7日(金) 4月8日(土)4月9日(日)4月10日(月)4月11日(火)4月12日(水)

4月12日(水)タシケント→東京

 5時に起きて、身支度を済ませてナージャさんとローマにお別れの挨拶。ナージャさんとは3ヶ月後に日本で、ローマとは翌年また日本で会う事になる。アンバールの運転でマラートが空港まで見送りに来てくれた。最終日は安全運転。タシケントの空港は建物の入り口で見送り客は入れない。建物の前で3ヶ月後の再会を約して二人にお別れ。空港内で通関書類を書いていると、総裁が登場。あれ、建物に入れるの?と思ったが、国立サーカス総裁の顔は良く利くようで、並んでいる多くの人たちを飛び越えて。セキュリティチェック、税関、パスポートコントロールの手前まで誘導してくれた。我々日本人二人、周りの人に申し訳なくて小さくなる。私たちへの総裁なりの気遣い、なのかもしれない。さすがにパスポートコントロールは超えられないので、私たちを行列の先頭に割り込ませて、そこでお別れ。私たちの滞在の面倒を見てくれた事に礼を述べる。帰りは8:05発、ウズベキスタン航空(HY527便)はほぼ満席。成田まで、帰りはほとんど寝ていた。19:55成田着。

このページのトップへ

国際サーカス村協会(外部サイト)
サンクト・サーカスフォーラム報告
サーカスフォーラム報告(コラム)
サーカス・オズ再び(コラム)
BangkokStreetShow 見聞録(コラム)
千秋楽のお楽しみ(コラム)
サーカスフェスを訪ねて(コラム)
シルクールサイド
シルクールを訪ねて(コラム)
サーカスオズ
サーカス・オズを訪ねて(コラム)
2013年春・開幕までの日記(ブログ
キューバとチリのサーカス(コラム)
カンボジアのサーカス (コラム)
コラム・道具愛 第1回歯車のお化け