まず、一言でいえば、楽しい“ストリートショー”であった。ストリートショーと命名されているが、バンコクの有名な公園、ルンピニ公園で3日間に渡る大道芸フェスティバルで、今回が5回目、参加チームは約40組、そのうち約半数の18組が日本のメンバーであった。
このフェスティバルに、なぜパフォーマーでない僕が参加できたかといえば、カンボジアPPSのサーカスメンバー3名を、弊社ACCでコーディネイトしたので、そのプレゼントというわけである。ありがとうございました。だが実は、出発2、3日前までは、キャンセルしようかどうか迷いに迷っていた。年のせいかあらゆることに腰が重くなっていることも事実だが、海外にでたところで、なにかを発見する、驚く、目からウロコが落ちる、楽しむ、日本にいるときにウダウダ考えていることから開放される、気晴らしになる等など、そうしたことを期待できなくなっている自分がねっとりと我が身に巣食っているからであった。
しかしここでキャンセルしては、折角、僕の旅費、ホテル代を、バンコクのプロデューサーに掛け合って確保してくれた小島屋・羽鳥さんに申し訳ないし、コーディネイトしたカンボジアチームがちゃんと仕事をしてくれるか見届ける責任もあると思い、いくらなんでもキャンセルは身勝手すぎると考え直し、重い腰を上げることにした。
以上はうだうだ書き綴っても仕方ないことだが、実は、今回の旅ではいろいろな発見があり、その発見には、以上の僕の気持ちが下敷きになっている部分が大きいので、記しておくことにした。
さて、このフェティバル自体は、大成功であったと思う。もちろん、フェスティバルが収益的に成功したか、動員数が前回を上回ったかどうかは聞いていないので、そうした意味での成否はわからないが、夕方になると、公演場所のポイントごとに大勢の人々が集まり、パフォーマーが見えなくなるほどの人垣ができ、そのお客が歓声を上げていた様子からしても、多分、うまくいったのではないかと思う。
ところで、これだけの大掛かりなイベントを、中心になって支えているのがひとりの若い女性であるというのが、まず、おおきな驚きであった。スタッフは、数名。ぼくらが知り得たのは、彼女以外はもうひとりの女性。そして、通訳、ケータリング、物販担当の大勢の大学生。そして日本語通訳たちの日本が上手なのには驚きかされた。
パフォーマンスのポイントは12カ所、その他にウォーキングの園内通路が一カ所。時間は、午後3時から9時までで、パフォーマーは公演場所を変えながら、一日3ステージ。開始時間が午後3時といっても、まだまだ相当に暑い。直射日光のもとでショーをするのは、パフォーマーにとっては過酷な環境であった。もちろん、それはお客にとっても厳しいものがあり、この時間帯、休まずショーを見ることはぼくには無理で、日陰で見られるところを探しながら、一日いくつかのステージを見た。しかし夜になると、観客が溢れかえってしまうので、場所取りが大変になる。
それにしても、昼間の暑さは相当なもので以前、脱水状態になったり、軽い熱中症にかかったりしたパフォーマーがいたとのことであったが、今回は、海外のメンバーを含めて誰もそのようなことにはならなかったようだ。5回目ということもあり、この公演に参加することが相当シビアであることは、事前に情報が行き渡っていたのかもしれない。
このフェスバルのなにが一番いいかといえば、多分、お客さんの質ではないか。なによりもまず、楽しんでいる。前に陣取ったお客は後ろのお客を気にして、率先して道路に座る。そして素人カメラマンが少ない、スマホをかざしている人が少ない、“俺は、大道芸フェスのおたくだ”と、変に突っ張っているお客はいないように思えた。ほとんどのお客が手ぶらだ、荷物をもっていない(日本だと、ショルダーやリュックサックを持っていない人の方が少ない)。
バックヤードならぬ、控え室の体育館で、冷房がなく多少はつらかったが、パフォーマー、通訳、スタッフが入り混じっているので、誰もが自由に話し合えるのもよかった。ここで、昼・夜、お弁当がでて、しかもカップヌードルも食べ放題。ちゃっかり日本へお土産に持って帰るパフォーマーもいたが。
ところで、カンボジアの10代のパフォーマー諸君、ティシュー2名とローラーボーラー1名の演技はストーリー仕立てで見ごたえがあり、お客の反応もよく見事に演じたくれたので、僕の責務はほぼ完了。投げ銭も集まり、みんな大喜び。
また何人かのパフォーマーとじっくり話し合えたのも収穫であった。
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ショーのことではないが、バンコクのスワンナプーム国際空港で感じたのは、実に、国際色豊かというか、いろいろな国の人々が行き来しているということだ。その雑多な豊かさが実にここちよく感じられた。
ほぼ観光はしなかった。パフォーマーの買い物にちらりと付き合い、巨大ショッピングモール、そして、これまた大きな建物の中の、路地が入り組んだ市場にも足を運んだくらいだ。これは、アジア各国に見られる情景と言えるだろうが、次第にこうした市場が消えていっているのも事実だ。 バンコク到着の次の日がオフで、何人かはアユタヤ遺跡に足を運んだが、ぼくはカンボジアチームの出迎えもあり、パス。
それにしても世界遺産観光などになぜそれほど魅力を感じないのだろうかと自問してみる。まあ、パンフレットに書かれているようなことを確認するために、世界遺産を見ても仕方ないのは言うまでもないが、たとえば、日本では近代産業の遺構などとして世界遺産になるものの多くは、それが口当たりのいい観光資源解説によって、負の部分が隠されてしまうことに、苦々しい想いを感じているからかもしれない。近代産業の最も大きな問題は、そこで労働者たちがどのような労働条件のもとで働かされていたかではないだろうか。そのことを抜きに、近代産業こそが現代文明の礎となっていると評価することで、知らなければならない歴史を隠すような観光化にはどうしても納得できない。
ダークツーリズムという言葉があって、提唱されたのは1990年代後半で、日本で取り上げられるようになったのは、多分、ここ10年ぐらいと思われる。この一般的ではないツーリズムは、いまのところ日本では大手観光会社の商品にはなっていないようだが、このダークツーリズムに挙げられている最近の目玉商品はチェルノブイリ原発だ。これもまた、なぜそのような取り上げ方をするのか。そのようなキャッチフレーズを準備して、人々の関心を引き、それによって様々な問題をあからさまにしていくということだが、それもなにか危ういものを感じる。
いささか横道に逸れてしまったが、そんな気持ちが心の片隅にあるせいか、どうも観光する気持ちがググッとこみ上げてこないのである。
ごちゃごちゃした大きな市場と道路を挟んで、伊勢丹やら巨大ショッピングモールのある界隈を歩いていると、どうしてもやがて昔ながらの市場のあるところは巨大な現代的な建物が立ち並び、そのときに零細店はわずかな立ち退き料で追い払われることになるだろうと考えてしまう。そこには冷酷な資本の論理が働き、それらの建物や周辺の交通アクセスに投資される巨大な資本は、その回収のために、都市労働者、周辺地域の農業はじめとする様々な労働者の収入を吸い上げ、また海外からの観光客を誘致することになるだろう。そこには、新たな貧富の差が生まれてくることになるにちがいない。
この繁華街を歩いているとき、あるビルの屋上の温度計が、42度を表示していた。ホンマかいなと思いつつ、これも加熱する都市構造のせいかしらと思うと、心は地獄から吹いてくる冷気に、ヒヤッとした気持ちになっている。
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そんなあれこれで、海外の旅に、自分なりの物の見方で、もう一度、出かける必要があるな、つまらんと思ったりせずに。そうした海外の風景と日本のこの歪んだ世界を比較しつつ、終末へと、現代文明崩壊の時計が回っているとしか思えない現状を捉えつつ、たとえ些細なことでもやるべき事にむかうべきではないか。
小島屋さん、羽鳥さん、誘ってくれてありがとう。
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