2月27日(水)東京→チューリッヒ→ブリュッセル
5:40に起床して電車を乗り継ぎ、日暮里からスカイライナーで成田空港へ向かう。成田空港では念のため、お土産用に和風の飴の小袋を何袋か購入。15分遅れの11:30発スイスエアLX0161でブリュッセルへ向かう。
機内は初老の日本人団体客が多い。機内は満員で胴長の私には辛いものがあったけれど、年齢と共に時間の経過が早く感じられるようになってきて、以前ほど欧州行きの12時間フライトが苦ではなくなってきた。スイス・エアのドリンクはアルコールも無料。国際線でアルコールが有料だったのは僕が知る限り今のところデルタ航空だけである。
機内食を食べ昼寝をし、持参した本や、訪問都市のガイドブックを読み、機内映画を見る。移動時間というのは気楽なものだ。
チューリッヒの空は深い曇り。着陸三分前まで外は何も見えなかった。ブリュッセルへ飛ぶ前に近代的なチューリッヒの空港を物色し、レストランで軽食を食べる。500ccのビールはドイツ産のFranziskaner Dunkelで7.90スイスフラン、サンドイッチが同じく7.90スイスフラン。隣のバーガーキングに置いてある子供用の椅子がSTOKKE社の(ノルウェーの子供用品会社)TRIPP TRAPPなのが、ファーストフード店なのにうらやましいぞ欧州。
2時間くらいトランジット時間の後、同じくスイス航空0788でブリュッセルへ向かう。離陸して雲海を抜けると窓からはアルプス(らしき)山脈が連なっていて壮観であった。
通路を挟んだお兄さんが、着陸前に何度も十字を切っていたが、無事に19:20にブリュッセル空港に到着。空港のバゲージクレームまでの距離が半端無く遠い。空港内ではブリュッセル名物のしょんべん小僧をパロディにしたブツを至る所で見かける。
国鉄のチケットを購入。ブリュッセル・ゾーンまではさほど遠くもないのに7.8ユーロと、2等なのに意外に高額。ガラガラのボックス席に座っていると、無賃乗車とおぼしき、目つきの定まらない中年男が他の席が空いているにも関わらず、僕の真向かいの席に座る。軽い緊張が体を走るも、車掌が来たら彼はすぐに行ってしまった。
20:30頃にブリュッセル北駅に着き、メトロに乗りたかったのだが乗り場所がわからない。うろうろと探していると、若者たちが駅構内の広場で爆音でラジカセを鳴らしながら、酒を飲んで騒いでいる、という絵に描いたような集団に出くわす。まずいな・・・。速やかにその場を立ち去り、キオスクのおばさんにメトロの場所を訪ねるも「あっちにいって、あっち」と早口のフランス語で言われ、よくわからないまま行ってみると、またさっきの広場に辿り着き、若者たちの数はさらに増えている。欧州のメトロで今まで怖い思いをしたことはなかったけど、トランクを引きずった旅行者の姿で、彼等の前で繰り返しうろうろするのも嫌なので、腰抜けの私は仕方なく回れ右をしてタクシーを捕まえてホテルへ。現地のオーガナイザーが予約しておいてくれたのは、目的の劇場に近い現代的でこぎれいなホテル。部屋に荷物を置いて、夕食を獲得しに町をうろつくも、夜も遅いしあまりめぼしい店は見つからず、仕方ないのでホテルのレストランでフランドル風カルボナード(Carbonnades a la flamandes 牛肉のビール煮)を注文し食事にありつく。
ココットに脂身の少ない牛肉が大量に入っていた。(300g〜400gはあるのではないだろうか?)17ユーロ。部屋に戻ると機内でもらったチョコレートがシャツの胸ポケットでドロドロになっていたので、初日から風呂場で洗濯。長い一日を終わらせるため、バスタブに湯を張ってゆっくり風呂に入り、読みかけの本を読んで就寝。時差ボケで3回くらい目がさめる。20代の頃は時差ボケなんか簡単に治せたのだが・・。
2月28日(木)ブリュッセル → トゥルネー
7:30に目覚めて朝食のブッフェへ。3食ここで食べたくなるすばらしいブッフェ。日本のビジネスホテルもこうなら良いのに。
この日の予定は午後からなので、午前中はブリュッセル市内を散策しようと、早速ホテル前のロワイヤル通りのGillonというトラム駅から町の中心へ行こうとするも、トラムの駅にチケットが売っていない。トラムを待っているお兄さんに聞くと、メトロの駅構内に売っているという。近くのBotanique駅構内の自動販売機で買おうとすると、今度はユーロ紙幣が販売機では使えない。地上にもどりホテルに戻って両替をしてまた地下に潜り、やっとチケットを買えて、また地上にもどり、トラムのBotanique 駅から町の中心Grand Placeをめざして、いざ出発。
Palais駅でトラムを降りブリュッセル中央駅前を通って、名所のGrand Placeに到着。思っていたより広い広場ではなかったものの、美しい眺め。私のような観光客が沢山。そこから小便小僧の像までゆき、また観光客を捕まえてぱちり。しばらく街を散策。気になるのは寒さ染み渡る路上や地下鉄構内に、物乞いが多いことだ。
しばらく中心部を散策し、土産等を買った後、ギャルリーサンチュベール【Galerie St.Hubert】で立派な本屋を発見。哲学、心理学、宗教学の本が充実している。店員もいかにも人文学に精通してそうな風貌の人が多い。その隣にも立派な美術書の専門店があった。欲しい画集が65ユーロで売っていたので、買おうか散々迷ったのだが、荷物が重くなるので断念する。近くの通りにハムやパテ、ワインなどが売っている楽しそうなデリカテッセンがあったので、そこでミートボール、フランスパン、ブルゴーニュという名のパテを買って、メトロに乗ってホテルに戻り昼食。美味いのだが塩分が強い。
今回のベルギー訪問は、ACCが2007年に川崎のクラブチッタ公演を主催したベルギーのサーカスカンパニーFeria Musicaがトゥルネーのサーカスフェスで、同じく2012年にACCが主催公演した同じくベルギーのCarre Curieuxがブリュッセルで、3月3日同日に新作公演を行うので、両カンパニーを支援しているWallonie-Bruxelles/international(WBI)が、外国のエージェントやフェス関係者を集めて二つの公演を一日で見るシャトルバスツアーを企画し、そのツアーへのお誘いがあった。当初は2公演だけを見る2泊3日のとんぼ返りツアーを考えていたが、調べてみると前後の日程に他に面白そうな公演がたくさんあるようなので、ACCの大野洋子さんが3月1日から、僕(辻)が2月27日からベルギー入りすることになった。
15:00にLa MAISON DU CIRQUEのサラがホテルに迎えに来てくれた。トゥルネー(Tournai)で行なわれるサーカスフェスティバル「LA PISTE AUX ESPOIRS」の公演の一つを車で見に行くのだ。同行者は本日見る予定のCie Circonventriqueのマネージメントをしているマリオン、モントリオールのサーカス・アーツ・シティ計画を担うTOHUのマリソル。一通り自己紹介をした後、車は走りだす。私以外の3人はフランス語圏の人たちなので、自己紹介の後はほとんどフランス語で、かしましい社内。サーカスの世界で生きる女性たち。たまに気を使って私に英語で話しかけてくれる。
トゥルネーへの道すがら、田園地帯の田舎道で風力発電の風車が幾つか見えたので、ベルギーの電力事情について聞いてみた。ベルギーには二つの原発基地があり、7つの原子炉を持っている。総電力量の半分を賄って来た。もちろん原発の危険性は国も承知をしていて、再生可能エネルギーを増やそうという方向にはあるけれど、ベルギーは年間を通じて曇り空が続くので、太陽光発電はなかなかうまくいかない、とのこと。「曇り空が続く」というリアリティが薄かったのだが、確かに5日間の滞在中、太陽を見たのは一度きり僅か数分で、それは深刻な問題であることを後日知ることになる。道すがら「私たちの村に風車は要らない」という看板を何度か見かけた。渋滞もあり17:30頃にトゥルネーに到着。トゥルネーはワロン地区エノー州にあり、フランス国境にほど近いベルギー最古の街の一つ。フランク王国の初代国王クローヴィスが生まれた街でもあり、受験の時に世界史を学んだ人にとっては、一度は耳にしたことがある街である。
(世界遺産に登録されているトゥルネーの鐘楼。)
トゥルネーには2つの世界遺産がある。1つは「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一つとして登録された鐘楼。もうひとつは、圧倒的な存在感でそびえ立つノートルダム大聖堂。
ベルギー王国そのものは連邦国家で、主にフラマン語(オランダ語のベルギー方言)を話す北部フランデレン地域、主にフランス語を話す南部ワロン地域、そしてブリュッセル首都圏地域(地理上はフランデレン地域だが、住民の8割はフランス語を話す)の3つに別れている。また、フラマン語、フランス語、ドイツ語を話す3つの共同体という2層6つの複雑な地方行政区分に別れている。どちらかというと国としてもまとまりよりも、その地域内、さらにその下の州でのまとまりが強い、地方分権の国である。文化行政も基本的に州単位で行われており、WBIはベルギーのフランス語圏のワロン地方とブリュッセル首都圏地域共同の国際行政機関で、この2地域の文化的な価値を高め、海外に紹介する活動をしている組織でもある。
(ギルドハウス「繊維ホール」内)
LA PISTE AUX ESPOIRSは今年は2月27日(水:前夜祭)〜3月4日(月)の6日間開催される。今年で25回目を迎えるこのサーカスフェスは2009年まではコンクール形式で毎年行なわれていたが、2009年以降はコンクールをやめて隔年で行われるようになった。実行委員会が主催でトゥルネー市、ワロン地域、WBIなどの行政組織やテレビ局をはじめとする地元の企業等が出資している。グランプラス(街の中心の大広場)に面し観光名所の一つでもあるギルドハウスの「繊維ホール」が、フェスの拠点になっていてインフォメーションデスクや、バーやキッチンが併設され、フェスの期間は夜な夜なライブやパーティーが行われている。
(開会セレモニー)
18:00頃繊維ホールに着いた時、ちょうど開会式が始まるところだった。2004年にACCが主催した第3回東京国際フール祭に出演し、その後、何度か来日しているOkidokのブノワに遭遇。モントリオール国立サーカス学校の初代校長ジャン・ロック・アシャール氏も来ていて、挨拶をすると「ニシダとヨーコは元気?2000年以来会っていないよ」と。ACCが1994年にカナディアン・ファンタジー・サーカス『メルヴェイユ』(宝塚ファミリーランド)をプロデュースした際に、当時国立サーカスの校長だった彼はメルヴェイユの公演に多大な協力をしてくれた。その後も関係が続き、2000年に開催した、「第1回東京国際フール祭」のクラウン・コングレス(クラウン会議)にも、パネリストとしてACCが招聘したことがある。ヨーコが土曜日に来ますよ、と答えると大変嬉しそうな様子。このフェスにはフランス語圏のサーカス関係者が、多く集まっているようだ。日本では政府の助成金がフェス部門を縮小したり、全体の文化予算が減っていて、プライベート企業である私たちがフール祭のようなフェスを開催するのが年々難しくなっている、という話を同席した関係者にすると、ベルギーを始め西欧諸国も経済状況が悪くなるにつれ、パフォーミングアーツに対する支援が減り、どちらかというと博物館や美術館への支援に再びシフトを戻しつつある、という。文化政策が保守化している印象だ。
開会セレモニーでシャンパンを飲み、軽く前菜を食べて19時過ぎに、Cie Circoncentriqueによる『RESPIRE』を見に、劇場へ徒歩で向かう。劇場はカルチャーセンター「MAISON DE LA CULTURE」のSALLE LUCASという400〜500席くらいのホール。
MAISON DE LA CULTUREは16の文化施設が一緒になった立派な建物。CirconcentriqueはCarre Curieux達が卒業したブリュッセルのサーカス学校Ecole Superieure des ARTS du Cirque(ESAC)出身の2人、シルホイールのMaxime Pythoud とジャグリングと玉乗りのAlessandoro Maidaによるカンパニー。この作品ではピアノの生演奏が加わる。客入れの時から2人は、舞台上で円を描くようにゆっくり、のんびりと歩いている。ショウがはじまると前半は、並んで歩いたり、組み合ってアクロバットをしたり、ボールの奪い合いをしたり遊んでいるようでもあり、コンタクトインプロヴィゼーションのようにも見えるシーンが続く。前半はゆっくりとした始まりから、中盤からボールジャグリングと玉乗り、そしてホイールのソロが、自転したり公転したりしながらテンポが良くなってきてから急にショウに引き込まれる。照明も最低限のシンプルな設営ながら、電気スタンドでボールを照らしたり、白熱灯を旋回させたりしながら、影を効果的に演出する。そしてクライマックスは輪と球が立体的に組み合わさり、見事なオリジナルのアクロバットで締めくくる。円をテーマに調和に満ちた面白いショウだった。二人がただ遊んでいるようでショウらしくないところから、いつの間にか見事な技を披露する展開に洗練を感じさせ、二人のコンビネーションが胸を熱くさせる作品だった。
ショーが終わってから二人に「この作品のインスピレーションはどこから得たの?」と質問すると「答えは簡単。ホイールのMaximeとボールの僕が出会って、一緒に作品を作った。それだけだよ。」と、至ってシンプルな答えが帰って来た。こういう質問をすると、作品に込められたコンセプトや暗喩を真面目につぶさに答える人もいる一方で、単純な答えではぐらかす人も多い。作品に対する観客それぞれのイメージを崩したくない、という狙いもあるのだと思う。
観劇後にトゥルネーの市内のイタリアンで4人で食事をしていると、Carre Curieuxのケンゾーとゲルトがレストランの窓から私たちを見つけ、店に入って来た。1年振りの再会。そしてすぐにジャン・ロックやFeria Musicaの最新作に参加しているジャグラーのロイック(ESAC出身でひたち国際大道芸にも出演した事がある。)も現れ、賑やかな食事になった。Carre CuriexやCirconcentriqueたちはどんな所でサーカスを学んだのだろう?ショウを観てもたげる興味。明日ESACを見学出来ないだろうか、とサラに尋ねると明朝、電話で確認してくれるという。急なお願いにも関わらず、ありがたい話。
23:50頃トゥルネーを出て、1:00頃ブリュッセルに到着。風呂に入り洗濯をして2:00頃寝る。長い一日だった。
3月1日(金)ブリュッセル
疲れているのに時差ぼけのせいで眠りが浅く何度も目を覚ましながら、9:00頃に起きて朝食を食べていると、SMSでサラからメールがあり、ESACは生徒が居なくても良ければ午後から見学可能だと連絡。「ぜひ」と答えると13:00に迎えに来てくれるという。
それでは、ということで、またいそいそとメトロに乗ってブリュッセル市内の散策に出掛ける。この日はマロール地区のJeu de Balle広場で行われている蚤の市へ繰り出す。メトロではマイクとPAを持ったおじさんが乗って来て急に『オー・シャンゼリゼ』を皮切りにレパートリーを歌い始めた。残念ながら投げ銭はあまり入っていないようだった。
蚤の市にたどり着いた時には、雨が降り出して来た。はりきって蚤の市を訪れた割には、あまり魅力的な物は見当たらなかった。蚤の市で売っている物というのは、日本もベルギーも傾向そのものはあまり変わらないのだ。蚤の市をでて、骨董品街でもあるマロール地区を散歩した後ホテルへ戻る。
サラの車で、ブリュッセル郊外にあるEcole Superieure des ARTS du Cirqueを訪ねる。残念ながら2〜3年生は3月6日〜10日に行われる定期公演のために別の場所で練習しているらしく、学校にいるのは1年生だけだったが、学校の雰囲気を良く知る事ができた。
(サーカス学校の入り口。そのたたずまいに惹かれる。)
2003年創立の3年制の国立学校で現在約50〜55人の生徒が在籍している。今では、フランスの国立サーカス学校Centre national des arts du cirque(CNAC)やモントリオールの国立サーカス学校に並ぶほど有名になりつつあるESACは、入学するのは狭き門だ。生徒のほとんどはフランスをはじめとする外国人で、ベルギー人は過去、ゲルトを含めて3〜4人ほどしか生徒はいないという。(Carre Curieuxはゲルト以外の3人はフランス国籍)
先生の数は定かではないが、サーカス番組ごとに先生がいる他、バレエ、ダンス、演劇、音響、照明、メイク、マネージメントなどにも専門の先生がいるので、多くの先生が働いている。壁に貼り出された時間割を覗くと、ロシア人や中国人の先生も何人かいた。
校舎の建物は古くて趣があるのだが、いかんせん古くて小さく、公演の練習には不向きなので、移転先を決めたものの、国からの資金援助を待っている状態にあるらしい。建物の古い感じがキエフのサーカス学校に似ている気がした。
(2tまで耐えられるアンカーを幾つも取り付けた部屋もあった)
広いメインの練習場の他に、バレエの部屋、床運動の部屋、綱渡りの部屋、など幾つか小さな部屋が併設してある。食堂からはプーンといいにおい。
ESACは長年勤めていたディレクターが、つい先日CNACに異動してしまった為、現在(2013年3月)はディレクター不在の状態で、この1〜2週間のうちに新しいディレクターを決めなくてはならない忙しい状態にあるらしい。1時間程滞在して空港へ洋子さんを迎えに行く。
空港への道すがら、サラにブリュッセル市内の大道芸について聞いてみると、以前は出来る場所が決まっていたが、今は役所の文化担当の許可を取れればどこでやっても良いらしい。ただ、ベルギーは夏でさえ天気が良くないので、野外のイベントは大変らしい。
空港で洋子さんを出迎えて、ホテルにもどる。夕方、サンドイッチを食べたいという洋子さんと共に、ホテル回りでデリカテッセンを探すも、このホテルの回りは巨大なトルコ人街でケバブ屋ばかりだ。結局トルコ系の無口なおじさんが経営しているサンドイッチ屋でホットサンド(チャイ付き2名で9ユーロ)を食べ、Les halles に2つの公演を見に行く。
劇場のロビーはすでに観客でごった返している。20:00からCarre Curieuxのルカとウラジミル二人による新作『LE PASSAGE』を観る。 (Carre Curieuxのカタログ2012-2013 より)
心電図の音から始まる本作は、09年の第5回フール祭で披露した2人の作品『Derniers Instants...』のテーマである「生と死」を発展させたもので、死に直面した若者と死を司る黒服(死神)との対話、若者の死から復活に至るまでを、ボールジャグリング、ディアボロ、紙飛行機、シャボン玉、鏡、影絵、映像などを使って表現した隠喩に満ちた作品だった。二人のジャグリングテクニックを堪能するシーンはあるものの、ジャグリングは物語のテーマを表現する数ある手段の一つとして扱われているだけで、相対的にアクロバットの要素がかなり少なくなっていた。それでも私はルカが飛ばす紙飛行機が描く美しい螺旋の軌道や、ウラジミールが操る霊魂のようなシャボン玉の不確かな動きから、サーカスの魅力を感じることが出来たし、また何より、ジャグリングに固執することなく舞台での表現方法の幅を増やすことで、死への恐怖と魅力、生の喜びを、より大きくつかみ取ろうとした二人の表現への追求姿勢に心打たれるものがあった。そしてこのカンパニーの音楽は今回も素晴らしい。コンポーザーのMark Dehoux は、ジャグリングデュオとして参加した1997年パリのサーカスコンクール「Cirque de Demain」で金賞を穫ったり、2001年のリトルワールドのベルギーサーカスにジャグラーとして来日したこともある、多才な人である。公演後、マークは洋子さんと懐かしそうに挨拶を交わす。誰かが話していたが、日本で4人による作品『Cirque Vivant!(本当のタイトルはLe Carre Curiuex)』は、どちらかというとメインストリームを行く作品で、大抵どんな人にも気に入ってもらえる作品になったが、でもこの『Le Passage』は違って、観客の評価は一様に高いものの、好き嫌いがはっきり分かれる作品となった。死というテーマを取り上げながらも観念に溺れることなく、エンターテイメントとして、新しいものを生み出そうとするこのカンパニーの絶妙なセンスと懐の深さに感心させられるのであった。公演後、ロビーは人で溢れ返っていた。ルカもウラジミルも、家族や多くの知人達が観に来ていて終始、嬉しそうだった。
そのあと22:00から見たのはCloudio STELLATOの『L'Autre』。ひげ面の無表情な男が一人、赤いパンチカーペットの上に箱が二つ、そこに暗闇と沈黙が加わって、目の前で「起こりえるはずがない出来事」が次々に起こる。顔の表情や視線を僅かに変えるだけで、観客の傾注を操り、心をつかむ。ダンス、サーカス、オブジェクトシアター、イリュージョンが、一つの作品になって客席を飲みこみ、劇場空間を完全にコントロールしていた。演技者の独特の立ち居振る舞いを含めて、これまで観た事が無いタイプの、奇妙ですばらしく魅力的な公演だった。後日、トゥルネーでクラウディオ本人に話を聞くと、彼は3年かけてこの作品を作り上げたという。
24時近くからウラジミルと彼らの技術者ペドロ、おなじくESAC出身のLady Cocktailのメンバー(女子3人の空中ブランコグループ)とブリュッセル市街中央に繰り出し、この日2度目のトルコレストランで夜食を食べてクラブへ突入。ただ金曜夜のクラブ内はあまりにも人が多すぎて身動きすら取れず、おまけに時差ぼけも辛かったので洋子さんも僕も30分くらいでクラブから撤退。1:30頃に宿へと戻る。
3月2日(月)ブリュッセル→トゥルネー
トゥルネーへの移動は午後からケンゾーが車で送ってくれる事になっていたので、午前中は再びグラン・サブロン広場の骨董市を覗くも、あまり良い成果は得られなかった。国立音楽院前のバス停からトラムへ乗って北駅近くのホテルに帰る途中、僕が乗っているトラムに途中のバス停でルカが乗り込んで来た。偶然に2人で驚く。彼は昨日公演した劇場Les Hallesで行なわれる記者発表に向かうのだという。劇場の前で写真を撮らせて欲しかったので、一緒に劇場の前まで行くと、ウラジミルやペドロ、彼らの演出家であるフィリップが続々と現れる。昨日の公演の感想を伝え、皆で写真を撮り再会を期して別れた。
12:00にケンゾーが楽しくなるような赤いバンで、ホテルの前に迎えに来てくれた。運転席は3人乗りで、後部は箱形の荷台。舞台道具が沢山積める仕組みになっている。「今日は寒くなるからね。」と言いながら、昨年2月に日本から持ち帰った使い捨てカイロとチョコレートバーを洋子さんと僕に、せっせと配布するケンゾー。トゥルネーに行く道すがら、巨大な発電所があったので、日本の電力事情と原発行政の浅はかさをケンゾーに力説する私たち日本人2人。土曜日で道も空いていたので1時間ちょっとでトゥルネーに到着。
ホテルに荷物を預けてトゥルネーの文化ホール『Maison de la culture』で14:00からCie D'IRQUE & FIENによる『LE CARROUSEL DES MOUTONS』を、ケンゾーと彼のガールフレンドのアナリンと見る。日本にも来日したことがあるアクロバットグループ、元to be 2のダークと彼の妻、フィエンの二人による、ピアノ奏者とその夫が繰り広げる心温まる物語。驚かされるのはそのグランドピアノの装置で、巨大なターンテーブルの上に設置されたグランドピアノは直角に傾いたり浮き上がったりもし、メリーゴーランドのような舞台装置が休む間もなく稼働する。ピアノももちろん普通のピアノではなく、中に人が隠れたり、フルレンジの鍵盤がもう一つ隠されたりしていて、大変手の込んだ作品だった。歌ありアクロバットありで、言葉がわからなくても十分に楽しめる作品になっていて、子供たちは飽きずに最後まで本当に楽しそうだった。
続いて16:00からマリオネット劇場で観たのがATELIER LEFEUVRE & ANDREの『NI OMNIBUS』である。このカンパニーはJean-Paul LEFEUVREとDidier ANDREの二人のカンパニーなのだが、今回観た『NI OMUNIBUS』はJean-Paulほぼ一人が出演(Didierは音響担当)する作品だった。二人は共にCNAC(フランスの国立のサーカス学校)の一期生で、Cirque IciのJohann Le Guillermと共に90年代にCirque Oや、その後Que-Cir-Queをやっていた人たちだ。さぞかし「とんがった」作品を発表しているのでは、と思いきや、その予想は見事に裏切られる。彼らの作品はニュートラルでどこか乾いていて、笑いの中でさらりとアクロバットが起こる。その気負いのない静かな遊びがとても馬鹿馬鹿しいのだけど、それがとても洗練されている。彼らの作品を初めて観たのは2004年、オランダのTerschelingという孤島で行なわれたフェスティバルだったが、それは『La Serre (温室)』という作品で、ビニールハウスの中で演じられていた農作業とサーカスを組み合わせたような作品だった。そのときの楽しかった衝撃体験は今も記憶に新しい。今回の『NI OMNIBUS』は4平方メートル、8立方メートルの小さな箱の中をトラックの荷台の中に見立て、その中で高さ数センチの綱渡りなど、小さなサーカスを繰り広げる。ちらっと出てくる小さな映像の使い方もかわいらしく、これまた面白い作品だった。彼らの一連の作品は「poelico-agricole 詩的・農業的」であることがコンセプトになっているらしい。西田さんと大野さんがチリで観た彼らの作品も『Le Jardin(英訳:Garden)』というタイトルだった。『NI OMNIBUS』はDidierの一人の作品と併せて一つの公演作品になる、という話で、そちらもぜひ観てみたいと思う。
18:00からフェスの本部で行なわれたケンゾーとゲルトの作品のワークインプログレス(製作途中での公開)を観る。2014年の春に完成予定のストリート作品(『Engre Nous』2014年3月初演)で、まだ15分しか出来ていない作品のお披露目ということになったが、アクロバティックでシンプルな2人の掛け合いが素晴らしかった。固定しないチャイニーズポールを2人でどうバランスをとりながら昇って行くか、また、舞台の中心を軸にポールが円を描く動きが、時計の針のような規則性もあって面白い。作品創作に対して行政からある程度の支援がでている。そういったこともあって製作過程を披露する必要があったみたいだ。それでもお客さんの喜びは相当なもので、観客を含めフェス参加者達の2人に対する期待の高さがよくわかる。
次の公演時間までしばしフェス本部で歓談。カレキュリユーの技術者ニコラとそのガールフレンドと同席になった。2人ともフランス人でニコラはマルセイユの出身だ。ワインを飲みながらしばらく話をしていると、震災と原発に話は及ぶ。日本は原発事故の後、原発を抑制しようと考え始めた政府をマスコミが叩きに叩いた後、日本人はこれまで原発を推進して来たコンサバティブ政党に政権をもどしてしまった、信じられない思いだ。そんな話を私たちがすると、彼女は、電力会社やそこに群がる大企業がマスコミに大量に金をつぎ込んでいる、という状況は原発大国のフランスも変わらないわ、と、しばらく顔を曇らせた後に言った。
この後、20時からもう一つ公演を文化ホールに見に行ったのだが、ワインを飲んだ後に観たこの日4本目の公演は、ついに眠ってしまったので詳細は控える事にする。
ケンゾー、アナリン、洋子さんと4人でレストランへ。ベルギーでは通常22:00にレストランが閉まってしまうので、大急ぎで21:30頃に滑り込む。残念ながらムール貝はシーズンが過ぎていたので、代わりにウサギのロースト、プルーンソース掛けというベルギー料理とトゥルネー産の強めのベルギービールを注文した。今日披露したワークインプログレスは、最終的に野外で45分のショウにするということで、この後どうなって行くか構想を話してくれた。最後は「君と闘いたくない」というケンゾーと「いろいろお世話になったし、もう決めたし」と言う僕とで、伝票の奪い合いをベルギーの地方都市で行なう。疲れきった私たち日本人を宿まで送ってくれた後、彼ら2人はフェス本部で毎晩行なわれている宴会に参加すると言って別れた。
3月3日(日)トゥルネー
3月3日は最初の予定が14:00からのショウなので、しばらくトゥルネーの街を散歩する。世界遺産に登録されている鐘楼や12〜13世紀に建てられた巨大なノートルダム大聖堂などを見て回る。ホテルを出る時にフェスのプログラムディレクターのジェラルディンと綱渡り師のオリバー・グロッツァーに出会う。オリバーはワークショップ講師としてカンボジアのPhare Ponlue Selpakを訪れたりしていることから、洋子さんと知り合いだ。昨年はこのトゥルネーのフェスティバルで、市のシンボルである鐘楼と、中心広場グランプラスを挟んで向かいにある古い教会にワイヤーをかけ、グランプラス上空高さ25メートル、長さ230メートルを、地元のアマチュアオーケストラの演奏をバックに渡りきった。何ともクレージーな話だが、市民を巻き込んだフェスティバルプロジェクトの一貫として、さぞかし話題をさらった企画だったのだろう。でも、何が大変だったかというと、ユネスコの世界遺産である鐘楼にワイヤーをかける手続きをするのが一番大変だったそうだ。
この日14:00から観たのはLady Cocktailという3人組の女の子たちの『Les Filles du 2eme (The girls of 2nd)』という空中ブランコショウ。グランプラスに総量4tのウェイトと、ブランコのトラスを設置して、ベルギー特有のほとんど日が射さない肌寒い天気の中で行なわれた。彼女達もCarre Curieux達と同じブリュッセルのサーカス学校ESAC出身で、一昨日ブリュッセルで『LE PASSAGE』の公演の後、ウラジミール達と一緒に食事をした。ブランコとチャイニーズポールを組み合わせた約40分のコメディショウは、3人のブランコの技術がさすが、うならせる内容だった。ブランコに乗りながらの歌やアコーディオンなど、バリエーションが豊富で面白かった。
Lady Cocktailの終演後、センターでジャン・ロック・アシャールと共に3人で昼食を食べた。彼は熱意を持って様々な話しをしてくれた。「つい最近までこのフェスは毎年コンペティション形式で行なわれていたのだが、でも考えてみて欲しい。ジャグリングとクラウンを比べることはできないよ。」「私は動きのあるショウが好きだ。たとえばケンゾーとゲルトのワークインプログレスは素晴らしかった。君たちがこれから観るDavid Dimitriの公演も、私が好きな作品だ。」「いろいろな大会で審査員もやった。西田との出会いも中国の大会だった。ある中国の大会では賞に勝つためにアーティストが人間扱いをされていなかったことがある。サーカスは人間が行なうものだ。私は審査員で参加したが、そんなことが耐えられなくて審査員席を立ち去ったことがあるよ」「安全性に責任を持つのはアーティストの仕事だ。少しでも仕事環境に危険があると感じた時は、アーティスト自身がノンと言わなくてはならない」
数々のサーカスに関わり、沢山のアーティスト達を育ててきた、モントリオールサーカス学校の元校長が、次々とはっきりモノを言う姿は痛快で、聞いていて面白かった。私たちが次のDavid Dimitriの公演場所へ行く途中まで一緒に歩き、話は尽きなかった。最近は村上春樹をたいそう気に入っているという。感性も若々しいなと思う。
文化ホールの隣に「David Dimitri」と書かれた小さなテントが建っていた。キャパは200人くらいの小さなテントだ。このフェスでは最多の7回の公演を行う作品『L’HOMME CIRQUE(英訳:THE CIRCUS MAN)』だが、今回の公演も満員の中で行なわれた。David DIMITRIは20年以上前にACCの招聘で日本に何度も来日しているスイスの著名なクラウンDIMITRIの息子で、ブダペストのステイトサーカススクール、ニューヨークのジュリアード学院でダンスを学んだ後、カナダのシルク・ドゥ・ソレイユ、米国のビッグアップルサーカス、スイスのクニー・サーカスなどの著名なサーカスで綱渡りのアーティストとして活躍した。その後スイスで父親のショウに参加した後、小さなテントでたった一人でショウを行なう本作を作り上げた。タイトな黒パンツに白いワイシャツ、ブラウンのベストというクラシカルで清潔感に満ちたコスチュームで彼はリンクに登場する。ランニングマシーンのベルトコンベヤ、シーソー、ワイヤー渡り、人間大砲、体操の跳馬を使った馬のショーなど、音響操作も含めて全て一人で「トラディショナルスマイル」を絶やさずにテンポ良くショーを進める。馬の糞を使ったギャグなど、随所で馬鹿馬鹿しいシーンも挟み込まれるのだけど、引き締まった身体と何とも言えないエレガントさが、客席を酔わせる。子供たちは大受け、それにつられてまた大人たちも大笑い。マヌーシュ・スイングや古典、ポピュラーな音楽を効果的に使いながら、最後にはテントを突き抜けて、空へ昇るワイヤー渡りをし、観客をテントの外に導いてショーは終わる。クラシカルなのに斬新、ポエティックな心温まる作品だった。
センターにもどり、軽く飲み食いした後で、文化ホールへ行き、20:00から今回のベルギー訪問での最後のショウ、Feria Musicaの新作『SINUE(英訳:TWISTS)』を観る。前の方に座ろうとしたら、芸術監督のフィリップが「ここがベストポジジョンだよ!」と中段のやや前方を指示してくれた。Feria Musicaの5つ目のショウとなるこの作品は、2人のミュージシャンの演奏と映像共に、舞台中央に吊るされた大きな鉄製のオブジェを用いて5人のサーカスアーティスト達が次々とアクロバットを繰り広げる。空中をスィングする巨大なオブジェ。7年前に日本でも公演した『Le vertige du papillon』は「落下」という物理運動が作品のテーマだったように思うが、今回は「揺らぎ」というのがテーマであるようにみえる。舞台は夜の出来事であったようで、終始、暗めの照明と映像が、活発に動く生身のアーティス達にそれがどのように働きかけているのかが、残念ながら僕にはあまりよくわからなかった。彼らのウェブサイトによるとこの作品は『Petit Jules』という物語がベースになっているらしい。もう少し前知識を得てから観劇すれば、見方は変わったかもしれない。
ショウの後、海外から訪れたフェス関係者、エージェントなどを乗せるバスがブリュッセルに向かうまで、しばしアルコールを飲みながら歓談タイム。2日前にブリュッセルで公演したCloudio STELLATOも今夜のショウを観に来ていて、少し話が出来た。他のアーティストと一緒に新しいショウを作る予定があるという。魅力的な話が続く。時間になってバスに乗り込み、ベルギー郊外の夜道を進む。ブリュッセルで一泊し、翌朝、帰国の途に就く。
行政や諸外国を巻き込みながら常に新しいものに取り組み続けているベルギーのサーカス事情を垣間みる事ができた。短い滞在ではあったけど充実したフェス訪問だった。いつか今回観た作品のどれかを、日本に呼びたいと思う。(辻卓也) |