≪キューバ≫
「芸術と文化が人民の真の遺産となるように、まさにその目標にむけて芸術と文化を振興することが、革命の主要な課題のひとつである」と、カストロさんは、私が生まれるほんの少し前に、こう演説しました。音楽やダンスでの日本との交流は盛んなキューバですが、サーカスも優れています。
キューバのサーカス団は国営(Circo Nacional de Cuba)で、1887年に設立。1967年の革命後も、芸術と文化を人民の真の遺産芸術としようとする、カストロさんの方針で継続。私が訪れた2005年の時点では、アーティスト400名、スタッフ180名を抱えていました。設立当初は、旧ソ連との交流が盛んに行われていたため、ロシア色の強い演出が施されていたそうですが、近年ではキューバ人のキューバ・サーカスという原点に戻ることを重要視し、音楽、衣装、演出など、キューバらしさが感じられるものが増えてきています。
「まだ磨かれていない、“ダイヤモンドの原石”が、私たちのサーカスです。」と、キューバ国立サーカス団団長・ロランド・ロドリゲス・ロメロ氏は、言っていました。
サーカス学校は、ハバナ市内に3校ほどあり、殆どのアーティストが、この国営サーカスに入団します。2005年当時も、技術的に優れたアーティストがたくさんいましたので、現在も若手が続々とでてきているのではと想像しています。状況も当時とは変わってきているかもしれませんので、またいつか訪れることができたらと思っています。ちなみに2005年には2回訪れました。なぜ、そんな遠い国に2回も行ったかというと、翌年の2006年に、リトルワールド(愛知県犬山市)と、六本木ヒルズに、キューバ国立サーカスを招聘することになっており、生活習慣や仕事の進め方がまったく違う国民性なので、契約や演出の打ち合わせ、告知用写真の撮影など、メールですんでしまうようなことが、なかなかスムーズに進まないので、顔を見て話をする以外に打開策がなかったからです。
キューバの人たちにとって、“すぐに”という感覚は、1週間ぐらい先のことのようです。
≪チリ≫
9月18日はチリの独立記念日で、この前後の長い休暇にあわせ、首都サンチァゴにはサーカスが集まります。目抜き通りに並ぶサーカステント見たさに、2006年9月、チリに行ってきました。キューバも遠いけど、チリも遠い。アトランタ経由で乗り継ぎ時間もいれると、30時間ほど。チリには、80のサーカスファミリーが存在するということですが、このうちの12のサーカスがサンチァゴに集まり、8つのサーカスを見ることができました。チリの人たちは、ほんとうにサーカスが好きなようで、そのなかでもクラウンがとても人気があります。とにかくよくしゃべるしゃべる。あっちでもこっちでも同じようなギャグをやっているのですが、お客さんには大受けです。スラップスティックなものが多かったのですが、身体をしっかり鍛えているのが、よくわかりました。3台のオートバイがアイアンホールの中を旋回するオートバイのショーや、全長50cmの世界一小さい小人も見ました。
これら、サーカステントで開催されるものは、伝統的なスタイルのサーカスなのですが、新しいモノを受け入れる土壌もチリにはあり、フランスの「ク・シルク」のメンバーだったジャンポールと「シルク・オー」のメンバーだったディディエの、ふたりだけのサーカスの劇場版『le jardin』(庭)を、チリでチリの観客と見ることができたのは、おもしろい体験でした。その前の年に、オランダの野外フェスティバルで、この作品の野外テント版を見ていたので、何か縁のようなものを感じましたが、いまだ日本公演は実現できていません。
今はもうありませんが、ゴースターズという日本のファミリーサーカスの末娘のけいこさんが、ポップサーカスで空中ブランコのキャッチャーをしていたチリ人のヘルマンさんと結婚し、そのヘルマンさんが叔父さんと、ゴールデンサーカスというサーカス団をチリで立ち上げました。このゴールデンサーカスからゴールデン・シスターズというヘルマンさんの従妹4姉妹で構成されているチームを、2011年秋実施のリトルワールドのサーカスショー『チルコ・ラティーノ』にブッキングしていましたので、契約や演出等の話をしに、2011年8月3日〜8月8日の2泊6日(!)、サンチァゴを再び訪れました。日本を離れていたのは6日間なのに、チリの滞在はたった2泊です。なぜ、地球の裏側まで、行かなければならなかったかというと、キューバ同様、チリの人たちにとっても、“すぐに”という感覚は、翌日以降のことのようで、翌日他の何かがでてくれば、もう忘れてしまうという感じで、まったく話が前進しなかったからです。さすがに2泊6日の時差ボケはきつく、体調を崩さないように細心の注意を払ったおかげで、目的は果たしましたが、あまり細かいことを実は覚えていません。チリのサーカス研究家の方が本を出版したので、その記念バーベキューパーティーに行こうと誘われ、これはいい機会だと思ったのですが、車で3時間ほどかかる郊外のビバリーヒルズかと思うような超高級住宅地に到着するなり、殴られたような時差ボケに襲われ、食べろ攻撃(すごい肉でした)をかわしつつ、なんの話をしたかも覚えていないような、大変な半日でした。このサーカス研究家の方の名前も、本の名前も何も覚えてないのが残念です。
『チルコ・ラティーノ』は、チリの他、コロンビア、エクアドルのアーティストを含めての構成となりました。コロンビアやエクアドルもサーカスが盛んです。コロンビアのハイワイヤーという高所での綱渡りは、お家芸として有名です。ペルーもリマにサーカス学校がありますが、ヨーロッパから指導者を招聘したりなどすることで、コンテンポラリーな要素を取り入れようとしているようです。
仕事の場としては、メキシコやチリでは、テント興業が盛んなので、メキシコやチリ、もしくはアメリカの契約が多いように見受けられました。中南米のサーカスは、従来の伝統的な手法を重んじているサーカスが多く、演出は非常にベタな感じですが、そこがサーカスのもつサーカスらしさが表現されているようにも感じます。
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