ウズベキスタン・サーカス紀行
◆2006年7月から11月まで、北海道虻田郡のルスツリゾートと兵庫県の姫路セントラルパークで行なわれるサーカスに出演するグループの下見と撮影に、ウズベキスタン国立サーカスを訪れる。毎晩のようにウォッカの接待を受けながら、タシケントで仕事が無事に済んだ後は、往復600kmの日帰りサマルカンド・ツアーを敢行、団長の息子による恐怖の日帰りドライブで一気に酔いが醒めるACCスタッフ、など、オアシス都市での珍道中。
東京→タシケント
2006年7月から4ヶ月間、北海道虻田郡のルスツリゾートと兵庫県の姫路セントラルパークで行なわれるサーカスに出演するグループの下見に、ウズベキスタン国立サーカスを訪れた。
朝6:20に家を発ち、渋谷から成田エクスプレスに乗って成田空港に8:10分に到着。第2ターミナルの一番端にあるYカウンターで大島さんと合流。がら空きのカウンターでチェックインを済ませ、免税店で土産用の日本酒を2本仕入れて、10:15いざ出発。初めて乗るウズベキスタン航空(HY528)は成田を出て、一度関西空港に1時間程立ち寄り、タシケントへ向かう。(2013年2月現在は成田タシケント間の直行のみです。)タシケントへ向かう飛行機は殆どが日本人の中高年者だった。タシケント経由でトルコへ行くツアー客だったようだ。丁度ユーラシア大陸の中心に位置するタシケント、理にかなったトランジットだと思う。
「天山山脈だ!イシュククル湖だ!あれはフェルガナ盆地に違いない!」と、飛行機の窓の外を眺めては、シルクロード好きの僕は一人興奮のるつぼ。
あまり期待していなかったウズベキスタン航空の機内食。美味しい。
現地時間17:30にタシケントに到着。空港はウズベキスタン航空の飛行機だらけ。
世界史ばかりを勉強していた高校時代、とくに好きだった中央アジア史において、タシケントは古都サマルカンドと並んで、誉れあるオアシス都市として何度も出てきた地名だ。いつかは訪れたいと思っていた地に着陸し、にわかに興奮してくる。入国審査はあっという間に終わり通関もスムーズ。通関のおにいさんは日本語で「こんにちは」と愛想がいい。それだけシルクロードを訪れるツアーに日本人が訪れているのだろうと想像できる。空港には団長の夫のマラートさんが、なぜか白いリムジンで迎えにきてくれた。「リムジンで迎えに来てほしい」という大島さんの冗談を真に受けてしまったようだ。60歳を超えるマラートさんだが、カウボーイハットを被った筋肉質で若々しい。タシケントの気温は4月上旬で25℃。夏のような日差し。タシケントの国立サーカスが用意してくれた舞台サーカスのホテルにチェックイン。数日前からタシケント全域でお湯が出なくなって、この舞台サーカスホテルだけが、お湯がでるとのことでそこを用意してくれた。彼曰く、タシケントのシェラトンホテルでもお湯がでない、とのことだ。荷物を置いて今度は彼らが泊まっているサーカスホテルに移動し、私たちが招聘するサーカス団の団長、ナージャ・アリエーヴァさんに会う。彼女はACCと古くから親交があるカザフスタンのサーカスアーティスト、ローマ・シャリポフさんのお姉さん。彼女はタジキスタン出身で、夫のマラートと共に13名のサーカス団を率いてウズベキスタン国立サーカスで働いている。この夫婦はサーカスの教師としても優秀で、サーカスを目指す子供たちの親が、二人にサーカスの指導を頼みに来る。決して裕福とはいえないウズベキスタンにおいて、外貨を稼げる優秀なサーカスアーティストは憧れの的なのだろう。ナージャと団員達が用意してくれた食事を食べながら、ウズベキスタンの国情、サーカスにまつわる話しをつぶさに聞く。
立ち並ぶウォッカの瓶。
マラート、大島さん、私と3人でウォッカの瓶を2本空けてから、1時頃お開き。初日から飛ばしている。ナージャさんの息子アンヴァールに舞台サーカスのホテルに送ってもらい、そのまま就寝。
4月8日(金)タシケント
朝の9時にマラートが迎えにくる。ナージャさんの部屋に行き、朝食をごちそうになる。ハムやサラダと共にカーシャという少し甘い粥をごちそうになる。今日は12:00からナージャさん達率いる12名のグループ(アリエーヴァ・グループ)がサーカスショーを見せてくれる日だ。すなわち日本に来日するメンバー達が、日本から来たエージェント2人に試演を見せる日でもあり、ナージャさん、マラートさんが緊張しているのが分かる。朝食を食べてサーカス場へ向かう。地下鉄チョルスー駅付近の広場にそびえ立っている、巨大なドーム型の建物がサーカス場だ。
旧ソ連圏の国立サーカスの建物を幾つか見た事があるが、基本的にどこの国もほとんど似たような作りになっている。
試演が始まる時間まで、マラートがサーカス場の稽古場、
調教室、楽屋、会計室など、様々な場所を見せてくれる。
サーカス場内のモザイク画
不思議な形のサーカス場への入り口
サーカス場でビデオ、カメラなどを用意していると、ウズベキスタン国立サーカスの総裁(2006年当時)が現れご挨拶。ウズベキスタンのビジネスから政界にわたり各方面に幅広く顔の効く人で、わりとおっかない人だと聞いていたが、小柄でとても紳士的な印象だ。
アリエーヴァグループのショーが始まる。パーチ、
空中ロープ、ハンドアクロバット、マラートの鞭、空中リング、ドールコントーション、ハイワイヤーと演技が続く。
レベルも高く、シルクロードを意識した演出も素晴らしく、とても良いプログラムだった。途中、アリエーヴァグループではない二人組のクラウンが何度か登場するのだが、残念ながらこちらはあまり面白くなかった。良いクラウンに出会うのはなかなか難しい。公演後、外に出て、宣伝用の写真撮影。グループのメンバーも無事に試演会が終わって安堵した様子で愛想も良い。
団長も一緒に
写真撮影の後、国立サーカス総裁の部屋に行って日本からの土産を渡し、日本での公演場所の会場写真、図面、日々の生活場所の写真等を渡し、契約について打ち合わせ。和やかに話は進む。
打ち合わせの後、ナージャさんお薦めのレストランで遅い昼食を取りに行く。このレストラン家族経営の大きなレストランで、シンプルでとても良いレストランだった。
中央アジア特有の多種多様な顔をした、たくさんのウェイトレス達が忙しく動く。
皆、明るくて良く働く。( マラートとお店のスタッフの娘さん)
ナージャさんが頼んでくれたのは、小さい壷に入った肉と野菜のスープ、
シャシリク(串焼き)、トマトとキュウリのサラダ、そして隣国カザフスタンの伝統料理のベシュバルマク(肉入りきしめん、というかきしめん入り肉というか)
を食べる。今日の試演が無事に終わった事を、ワインとウォッカで乾杯しながらどれも美味しく頂く。日本での査証申請に必要な書類を説明し、私たちの帰国までに用意をしてくれるよう頼む。もう、ひたすら満腹。ホテルに帰って一休みした後、ナージャさん達のサーカスホテルのお湯がでるようになったので、引っ越し。荷物を運んだ後、ナージャさんの部屋で再びウォッカを飲みながら夕食。私たちが食事をしていると、ナージャさんのお弟や、アリエーヴァグループの若いメンバーが代わる代わる訪れる。皆、今日の試演会が無事に終わり、ホッとした様子で人懐っこい。試演について私たちの感想を伝えると、ナージャさんたちも嬉しそうだった。(ナージャさん家の猫)
昨年の他のグループがルスツリゾートと姫路セントラルパークで公演した時の映像を見ながら、再度打ち合わせ。懸念していたハイワイヤーの仕込みについては、少し課題が残った。帰国したら公演地のスタッフさんに伝えなければ行けない事を絵に描いて記憶する。昨年(2005年)、ルスツと姫路に出演していた空中ストラップのデュオがウズベク出身だったので、ナージャさんは良く知っていた。彼らは2008年から現在(2013年)に至までデュ・ソレイユの『Corteo』で働いている。世界中に散らばるサーカスの世界は広いようでとても狭い。エージェントの評判も同じ事で、すぐに知れ渡る世界なので私たちも気を抜けない。ナージャさん達サーカス一家の物語を聞いたり、マラートがローラーボーラーバランスを演じている30年前のビデオを見たりしながら、楽しく飲んで23:00頃お開き。身体からウォッカが抜けない。
この記事を書いた人
辻卓也
株式会社アフタークラウディカンパニー勤務。サーカスプロデューサー。ロシアやウクライナ、東欧などからサーカスアーティストの招聘が比較的多い。その他、ショウの演出やフライヤーデザインなどを行うことも。長身