エキスポサーカス・インタビュー③
◆2015年3月14日(土)から愛知県犬山市の野外民族博物館リトルワールドで開幕した『エキスポサーカス』。4カ国から来日した各出演者にいくつか質問をしてみました。
第3回:アレッサンドロ(Alessandro Traisci)(聞き手:辻卓也)
−出身はどちらですか? アレッサンドロ:イタリアの北部のトリノです。 −サーカスアーティストになったきっかけを教えて下さい。 アレッサンドロ:小さい頃は観に行ったことがなかったのですが、11歳だった時、初めてサーカスを観に行きました。観に行ったその日に「サーカスアーティストになりたい」と両親に伝えました。たった1回のショウを見てそう思ったのです。私にとって衝撃的な夜でした。子供たちはよく、サッカー選手になりたいとか、あれになりたい、とか言います。でも私のそれはとても真剣で、私の頭のなかで絶対にサーカスアーティストになるのだ、という想いが生まれました。年を経るごとに真剣になり、それ以来私は22年間アーティストとして働いています。 −その初めて見たサーカスはなんというサーカスだったか覚えていますか? アレッサンドロ:もちろんです。「Clown Cirques」という名前で、ミラノで1984年に見たサーカスでした。テントで行われていて、サーカス劇場のようなショウで、動物たちは出ていませんでしたが、詩的で、他の普通のサーカスとは違う雰囲気でした。
サーカスとの出会い(本人提供)
−その時すでにあなたはジャグリングのアーティストになることに決めていたのですか? アレッサンドロ:いいえ、一番大事だったのはサーカスで働くことで、それが全てでした。でも、私はその時アパートに住んでいましたから、空中ブランコの練習は出来ないし、一人で練習するしかありませんでした。教えてくれる先生もいないし、アパートで練習するにはジャグリングが最適でした。 −どんなジャグリングをやりましたか? アレッサンドロ:ボールや、リング、クラブ、そしてシガーボックスです。最初は帽子をつかったり、Kris Kremoのような伝統的なスタイルのジャグリングです。3年その演技を行いました。でも私は自分のスキルがある一定以上は上がらないことを理解しました。他にも良いジャグラーは沢山いましたし、専門的にそれをやっている人が多かった。なので私はディアボロを選びました。その当時は、まだディアボロのアーティストはそんなに沢山いませんでしたし、私のキャリアを成長させるのに良い機会でした。私は結婚してから15年間、妻と一緒にディアボロのショウを行いました。
ジャグリングのトレーニング(本人提供)
−最初の仕事は覚えていますか? アレッサンドロ:もちろんです。私は最初の夜を覚えています。それは契約ではなくてディスコへの出演でした。たとえ場所が良くなくても、まずお客さんの前で出演を果たすことが私には必要でした。だれも私を目当てに見に来ているとか、サーカス関係の人が見に来る、というのではない場所として選んだのが、私の町のディスコだったのです。ディスコの最中、なにかパフォーマンスが挟み込まれる、よくあることです。皆踊るのを止めて、私の演技を見ていました。いざ出演する時、私はとても恐くて興奮していて、演技中にステージ上にも関わらず、最後の20~30秒で私は吐き気を催してしまい、ステージの袖に走り出しました。ほんとに恐くて興奮していたのですね。それが、本当に最初の出演の経験でした。そして、最初の契約はMoira Orfeiのサーカスでした。イタリアで一番大きなサーカスの一つです。私はそこで3ヶ月間働きました。そのあと1~2年、イタリアの他の場所で働きましたが私は早く国外に出たかった。良いアーティストとなって世界中で仕事をしたかったのです。1997年にドイツで仕事を始めたのが、最初の海外の仕事でしたが、私はそれ以降、イタリアで働いた事がありません(笑)。 −あなたは、ダンスや舞台上の所作などの勉強もしましたか? アレッサンドロ:私がディアボロの演技を始めた時、シルク・ドゥ・ソレイユのアクターのようなスタイルの身体の動きをイメージしていました。私はダンスの経験はなかったので、プライベートレッスンを受けました。それはダンスではないのですがステージ上での、より良い身体の動かし方等を学びました。それはとても大事なことです。私たちは他のアーティスト達がどうやってステージの上に存在しているか、を観察することが出来ます。ステージ上でどうやったらスマートに見えるか、を知っています。なぜなら、どうやって身体をコントロールし、動かしたらよいか、どうやって自分を表現するか、などを学んだからです。
Moira Orfeiと共に(本人提供)
−いかに優雅にみえるか、とかでしょうか? アレッサンドロ:それです。今のこの私の演技は、ことさらハイレベルで強力な技を印象づける演技ではありませんが、優雅でクラシックな演技です。綺麗な衣装、笑顔、態度など、オールドファッションで1940年代~50年代を思わせるクラシックな演技です。 −あなたの演技は、珍しい演技ではないかと思います。あなたの演技の最後のトリックは、僕は今まで見たことがありません。この演技について、少し教えて下さい。 アレッサンドロ:現在このトリックをしているのは、おそらく私だけだと思います。Bob Bramsonというドイツの有名なサーカスアーティストがこの演技をしていましたが、1986年にこのアクトを止め、それ以来だれもやらなくなってしまいました。私がソロで新しいショウを作ることを決めた時、どんな演技を作ることが出来るか考えました。子供の頃好きだったBramsonが私の頭の中をよぎり、この演技をやってみようと思いました。そして現在では、私だけがこの演技をしているのだと思います。 −誰にも教わることなく、一人で習得したのですか? アレッサンドロ:はい、私はビデオを持っていましたので、そのビデオを何千回も見て、いろいろなことを理解しました。リングの寸法、どのような体勢で投げるか、投げるときのリングの床からの高さ、角度、などなど、理解しなくてはなりませんでした。そうして、この演技を習得しました。とても時間がかかりました。以前はこの演技はとても有名な演技でした。私が思うに、1920年代頃は多くのアーティストがこの演技をしていたのですが、だんだん、廃れて行ってしまった。そして、Bramsonがまた世に広めた。彼がこの演技のベストプレイヤーだと思います。彼はニューヨークのラジオシティミュージックホールで、サーカスアーティストでは初めて3回出演しました。驚くべきアーティストです。私はとてもラッキーです。彼の自伝を本にしてサインして、彼は僕に送ってくれました。私はとても嬉しかったです。
リトルワールド
−ご両親は、あなたがサーカスアーティストになることに反対はしませんでしたか? アレッサンドロ:いいえ、いいえ、彼等がいつも言っていたのは、あなたが幸せならば私たちも幸せだよ、と。でも一つ言われたのは、もし、あなたがアーティストになるならば、それはとても難しい仕事だから、もしうまくいかなかったときの為に、学校は最後まで行きなさい、と。でもその言葉は、私の耳から耳へすり抜けてしまいました。なぜなら、僕はサーカスのことしか考えていなかったからです。15歳まで学校に行きましたが、僕は学校が嫌いだったし、時間を失っているだけのような気がした。僕は放課後、サーカスのビデオを見まくって練習ばかりしていた。両親もそれをみて、だんだん僕を理解してくれたようで、あなたがしたいようにしなさい、と。私たちはいつでもここにいるから、何かあったら頼りなさいと。それは本当に、私にとって大きな助けでした。 −今のイタリアのサーカスの現状を教えて下さい。 アレッサンドロ:イタリアのサーカスはとても大きな問題を抱えています。現状では、未来を見通せるものがありません。なぜかといういと、それぞれのサーカスやグループは大きな経済的な問題を抱えています。それはイタリアだけでなく、世界でも共通する事だと思います。サーカスは二つの問題を抱えています。一つはその経済的な問題、もう一つが動物の問題です。現在のヨーロッパでは「サーカスは動物芸を止めるべきだ」という、とても大きな論争が起きています。私はそれに絶対的に同意しています。そして沢山の人たちが、動物芸があるからサーカスを観に行くのを止めようか、と、考え始めています。それで多くのサーカスが観客を失い始めていますし、サーカスに対して悪く言う広告が沢山あります。私がここで言わなくてはならないのは、全てのサーカスが動物を酷く扱っているわけではないのはもちろん事実です。でも象や虎が、例えば小さな部屋で生活をしなくてはならない、ということは辛い話です。もしかしたら部屋ではなく檻かもしれません。例えば私たちが電話ボックスで一週間、狭い思いをしながら過ごすのは辛いことです。100年前だったら問題はなかったと思いますが、でも今はインターネットがあって、象がどういうものか子供たちに簡単に見せることはできるし、もしお金があれば、例えばインドに子供たちを連れて行って実際の象を見せることもできます。アフリカの野生動物のドキュメンタリー番組などで、どうやって象が生まれ死んで行くか、見ることができます。でもサーカスで象がトランペットを吹くのはどうかといえば、それは自然なことではありません。それは時代とともに衰退して行くでしょう。これはイタリアだけではなく、他の国でも一般的なサーカスには同じ事が言えるでしょう。先日、アメリカのリングリングサーカスが2018年にショウで象を使うのを止めると、発表しました。これは信じられないような革命的なニュースです。多くのことが少しずつ変わりつつあります。
本人提供
−あなたはいろいろな国で仕事をしたと思います。一番印象に残っている国や出来事を教えて下さい。 アレッサンドロ:未来の事はわかりませんが、いまのところ、もっとも印象に残っている経験は北朝鮮の平壌での15日間でした。私は好運だったと思います。アーティストであったから入国できました。普通の旅行者では国内には入れませんし、招待されないと中に入ることはできません。私は平壌での15日間の芸術祭に招待され、まったく違う文化を目の当たりにしました。彼等は私たちに彼等の文化を理解してもらおうと、さまざまな所を案内してくれて驚きの体験をしました。私たちといつも一緒の通訳のある男性がいて、ある晩、彼等が私たちをディナー付きのセレモニーに招待してくれたことがありました。彼はいつも私たちの側に座っていました。テーブルに着くと、皆の前にオレンジが置いてあります。私はオレンジを手に取っていつものように食べました。でも彼は自分のものを食べていませんでしたので、私は彼に「あなたのオレンジを食べてもよいですか?あなたが食べないなら、僕が食べるよ」僕はオレンジがとても好きだったから軽い気持ちでたずねました。私は彼の顔が変わるのを見ました。「・・・いいですよ、どうぞ食べて下さい。」私は彼が食べたかったのだと感じました。でも彼は食べようとしなかった。「どうして、そんなこというの?もし、食べたかったら食べて良いんだよ。」あとでわかったのが、彼にとって一年間でオレンジを食べる唯一の機会だったんですね。僕はとても辛い気分になりました。このことでこの国の多くの状況を理解しました。私たちにとって、オレンジを食べることは普通の事ですが、彼等にとってそれは宝物のようなものだったのです。日本では何処ででもオレンジを見つけることは出来るでしょうし、誰でも買えると思います。でも彼等はオレンジを買うお金を持っていませんし、お店にもオレンジは置いていないでしょう。彼にとってオレンジは特別なものだったわけです。そのような出来事が私のまわりで沢山起こりました。その15日間とても強い印象として残っています。他にも彼等は私たちを金日成氏の遺体が安置してある部屋に連れて行きました。私たちは遺体の回りに立ち、礼をして献花を求められました。回りには国旗が飾られ、常に音楽が流れていて、まるで映画の一場面の様でした。とても不思議な体験でしたし、それが出来た私はとても幸運だったと思います。私がアーティストをしている上で、体験した一番印象深いことです。 もう一つは、オーストラリアへ行ったことです。ことさら働くのに良い場所があったわけではありませんが、ただ、オーストラリアを旅行したかったし、行ってみたかったのです。私は冗談ではなく3~4年間、オーストラリアの仕事を紹介してくれる人に「仕事をしたい」と定期的に電話をかけ続けました。私は絶対にオーストラリアに行きたかったのです。そしてついに2004年4月に連絡がありました。「あなたの勝ちです、8月にオーストラリアに1ヶ月来て下さい」と。「やったー、ついに行ける」私はよろこびました。そうして私は妻とオーストラリアに行きました。とても良い体験でした。シドニーで働いた後は旅行者として様々な場所に行きました。とても素敵な国でした。そして、ポリネシアにも行きました。オーストラリアから遠いですが、イタリアから行くよりは近いですよね。私たちは2週間そこで過ごしました。種類は全然違いますが、それが私の印象に残っている二つの出来事です。 −平壌には沢山のアーティストが集まっていましたか? 400人のアーティストが集まっていました。サーカスのフェスティバルではなくて、アートフェスティバルだったのです。音楽家、ピアニスト、ダンサー、アクター、サーカスなど、です。4月15日の金日成氏の誕生日を祝うフェスティバルです。彼はすでに亡くなっていましたが、お祝いは行われていました。私が思うに、96年に私がそこに訪れた時、が最後から2回目のお祭りだったのではないかと思います。なぜなら多分お金がかかりすぎたのだと思います。400人のアーティストを世界中から招聘するとなると、莫大な費用がかかったはずです。そう意味でも私は本当に幸運でした。
−日本に訪れるのは初めてだと思いますが、日本に対する印象と、日本のお客さんに対するメッセージがありましたらお願いします。 日本の印象ですが、まだ、私のアパートからリトルワールドまで通っているだけなので、正直わかりません。これから休演日にいろいろな所に行くつもりです。でも最初の印象として、どこもクリーンな印象があります。電車やバスでもクリーンです。イタリアならば、いろいろなところに落書きはあると思いますし、壊れています。日本は外も綺麗です。ヨーロッパは何処もそうですが、特にイタリアがそうですが、タバコはポイ捨てします。日本は綺麗だし人々は友好的ですね。店に行けば、笑顔で迎えてくれます。 お客さんに対して、ですが、もし悩み事があったりトラブルを抱えている人も、ショウを見るときはそれを忘れて愉しんで下さい。私たちは、40分のショウで、お客さんに愉しんでもらう為に、ここにいます。人生を悩ませている問題を忘れて、愉しんで幸せになってください。これはアーティストの存在理由です。お客さんを別の世界に導くというのが、私たちの仕事です。映画を見るときもそうでしょう?あなたは日常の問題を忘れて、映画に入り込みます。コンサートでも、ダンスショウでも、サーカスでも皆一緒なのです。
この記事を書いた人
辻卓也
株式会社アフタークラウディカンパニー勤務。サーカスプロデューサー。ロシアやウクライナ、東欧などからサーカスアーティストの招聘が比較的多い。その他、ショウの演出やフライヤーデザインなどを行うことも。長身