場所:野外民族博物館リトルワールド 野外ホール(愛知県犬山市)
期間:2013年3月16日(水)〜6月30日 公演時間:平日11:30〜、14:00〜 土日祝:11:00〜、13:00〜、15:00〜
休演日:毎週火曜日

主催:中日新聞社 東海テレビ放送 東海ラジオ放送 名古屋鉄道 名鉄インプレス(リトルワールド)
*一部演目を変更して公演を行う場合があります。

トゥイチー(ロシア)
芸歴26年に及ぶマジシャン。数多くの受賞歴を持ち、ロシア語をはじめ日本語を含む7カ国語を操る。本公演のリーダーとして演出も手がける。
フェルーザ(ロシア)
11歳の時から父トゥイチーと共にプロとして仕事を始め、世界各国を回る。イリュージョンの他ベリーダンスにも精通している。
アレーナ(ベラルーシ)
ベラルーシの国立芸術大学で、振り付け、その後ベラルーシ国立サーカスで空中リングを学び、各地のサーカスで公演をする。
アジザ(ロシア)
6歳の時からバレエを始め、多くの経験からダンスを仕事として始める。16歳の時に自らのルーツである、東洋のダンスを始める。
ワーリャ(キルギス)
オスマングループのリーダー。1994年に幼なじみのバック、アルマーズと共にオスマングループを結成。キルギス国立サーカスを拠点に活躍。
バック(ロシア)
オスマングループの屋台骨バックは、10歳の時からワーリャ、アルマーズと共に、ビシュケクのサーカス劇団で様々な技を磨いて来た。
アルマーズ(キルギス)
オスマングループのテクニシャン。オスマンを結成する前にジギド(馬のサーカス)に参加していた経歴を持つ。今回が7回目の来日となる。
オリガ(ロシア)
新体操のオリンピック候補選手を経て、国立体育大学で学ぶ。2004年からオスマングループに参加。10歳と2歳、二人の男の子のお母さん。
オクサナ(カザフスタン)
キルギス生まれた後、カザフスタンのタラスで過ごす。2004年からオスマングループに参加。7歳の男の子のお母さん。
アッティラ(トルコ)
イズミル出身。1980年よりプロミュージシャンとして様々な楽器を演奏。民族音楽や電子音楽の大学講師の一面も持ち、作曲も手がける。
ナシェールギン(トルコ)
イズミル出身。1996年より民族楽器のネイの演奏を始める。俳優としての経歴も長く、カリグラフィーや合気道など、様々な分野に精通。

出演者インタビュー

最終回はトルコからやってきたミュージシャンのアッティラとナシェールギンです。親日家のお二人に、日本についての印象を聞きました。
最終回:アッティラ(Atilla ABANA)、ナシェールギン(Naci Ergin KARABULUT)


ーまず最初にあなた達の街イズミールはどんな街ですか?
アッティラ:
私たちの街ですから客観的に言うのは難しいですが、それでもトルコで一番美しい街であると思うし、それは私だけでなく誰もが言います。とても良い街だし、良い人だし、女性も美しい。わたしだけではありません、皆そういいます。住みやすいし。イスタンブールは、もちろん美しい街ですが、でも人が多すぎるように思います。

音楽をはじめたのは何歳の時ですか?
アッティラ:
私の家族はマチュアのミュージシャンでした。まず私の祖父は、作曲家でもありバイオリンの演奏家でした。私のお父さんもバイオリン、ベースをひきますし、そして作曲家です。私の母は歌手で、私が子供の時は、ラジオやテレビ、ステレオ等から常に音楽が流れていました。私の家族の友達やその家族がウチに訪れた時も、いつも歌を歌ったり、ジョークを言い合ったり、レコーディングをしたり、楽器でセッションを行なったりしていました。私の最初の誕生日のプレゼントに母はスネアドラムを買ってくれました。彼女はそれを今ではとても後悔していて、それ以来私はずっと打楽器を叩き続けています!子供の時からいろいろな物を叩いたり。騒音を生み続けています(笑)。きっと母のおなかの中に居た時から、音楽を学んでいたんでしょう(笑)。そう思います。

肌寒い3月中旬のリハーサルで、アルマーズ、オクサナにターキッシュダンスを指南する
アッティラとなシェールギン。

ー音楽を始めるのはとても自然なことだったんですね?
アッティラ:
そうですね、どうやって食べるか、どうやって息をするか、と同じようなものでした。私にとって本能の一つと言えると思います。私や私の姉にとって。

ーお姉さんは何を?
アッティラ:彼女は女優です。彼女はテレビや、劇場、コマーシャルなどいろいろな所に出演しています。姉が一人と妹が一人居ます。

ー日本についてはどのように思います。
アッティラ:
とても長い話になりそうですが、なるべく手短に話してみます。子供の時から、新聞、雑誌、テレビ、とくに、広島や長崎を扱った歴史のドキュメタリーの中で、日本を観てきました。ほかには、武術や、仏教や神道の文化であったり、日本人は他人や自然に対してとても敬意を払う国民で、そういったことを知るたびに、日本に対して大変な興味を持ってきました。とくに、漢字や、日本の芸術、伝統的な建物や食べ物。トルコで見られる日本のテレビで「NHK WORLD」などを観て、いつも感激していました。最初にサクラを観た時は、あまりに美しく、感動のあまり、目頭が熱くなりました。自然も美しい。最初にトゥイチーからこの公演に参加しないか?たずねられたときは、即座に「イェス」と答えました。私にとって詳細等は重要ではありませんでした。トゥイチーがもう一人ミュージシャンは居ないか?と尋ねるので「エルギン」という良いミュージシャンが居て、彼は日本の文化にとても敬意を持っている。7年くらい合気道もやっています。家に刀もある。私がエルギンに「日本へ行かない?」と電話すると、「what??」と第一声でした。「いつ?」「もちろん!」という返事でした(笑)。私たちは日本に来られた事がとても幸せですし、はじめて仕事をする、他のサーカスアーティスト達や日本のスタッフも素晴らしい人たちで、一緒に仕事ができて大変幸せです。

ーナシェールギンとはどれくらい一緒に仕事をしていますか?
アッティラ:
お互い30年来の知己です。子供の時から。かれは最初に歯医者の学校に行っていました。でも、やめてしまって、経済を勉強しはじめて、それもドロップアウトし、そして音楽を始めた。自分で勉強したり、先生についたりしながら。そこで知り合いになって、一緒に演奏したり、ネイのワークショップに参加したり、新しい楽器を試してみたり。

ーナシェールギンは黒澤明の映画を全部見たと聞きましたが。
エルギン:
黒沢明だけでなく、北野武や大島渚も全部見ているし、今村昌平の「楢山節考」も観ています。「リング」や「らせん」といった日本のホラー映画も好きです。「ゴジラ」も好きですよ。

ー日本のお客さんに対するメッセージをお願いします。
アッティラ:
日本の人々はとても良い人たちだと思います。私たちは、お客さんにとても良いショウをしていると思っています。マジックやアクロバット、本当のトルコの音楽、とても楽しいショウです。どうか可能な限り、何度でも観に来て下さい。

ナシェールギン:
日本のオーディエンスはとても良いですし、彼らを楽しませることが出来る事に、幸せを感じています。なぜなら、日本のお客さんはとても、アーティスト達に敬意を払っているし、あらゆる芸術に敬意を払っています。反応はとても良いです。そして私たちがお客さんに披露したいのは、トルコやウズベキスタン、ロシア、キルギスなど、ミックスしたカルチャーのショウです。でも、お互いがとても近い文化であると思います。それをお客さん達に披露出来る事がとても幸せです。


出演者インタビュー

第二回は中央アジアからやってきたオスマングループのリーダーのワーリャです。
第2回:ワーリャ(Valentin ERSHOV )


ー生まれたのはどこです?
生まれはビュシュケクです。生まれた当時はフルンゼと言われていました。

ーなぜサーカスを始めようと思いましたか?
偶然です。住んでいる所から、20mくらいの所に文化会館があって、そこによくサーカスが来ていましたので、良く行きました。そこで、逆立ちをしたり、アクロバットをしてみたりやってみたりしました。その時はサーカスアーティストになろうとは思っておらず、ただ楽しみの為だけでした。12歳くらいの時だったと思います。

―サーカス学校へは行きましたか?
そのあとは、軍隊に行きました。軍隊から帰って来て工場で働いたのですが、なんかちょっと違うな、と。サーカスの方が面白いと思いました。アマチュアのサーカスグループとして、モスクワとかリガとかのサーカスフェスティバルには参加した事がありました。ソ連が崩壊して、キルギスではそんなにサーカスは盛んではなかったので、「僕たちがキルギスのサーカスを盛り上げよう」という気持ちでした。

―サーカスを勉強したのは学校ではない?
 昔はサーカス学校を出ていないとサーカスアーティストになれなかったけど、僕たちの時代は、卒業証書がなくても、技さえ出来ればなんとかなりました。12歳〜17歳までサーカス学校に行く代わりに、練習をしていました。そこでいろいろな事を覚えました。クラウン、ジャグリング、アクロバット、など、サーカス芸です。

―先生はいましたか?
 アマチュアのサーカス団で40人くらいのグループだったのですが、そのグループにサーカスを教えてくれるトレーナーが居ました。その時バックやアルマーズと知り合いました。トレーナーの兄弟がカザフに住んでいたいの、そのお陰でカザフに行ったりして、勉強していました。

―バックとアルマーズとは出会ってからどのくらいになりますか?
 14歳の時から。いま41歳なので27年ということになりますね。そのサーカス団当時は、彼らは同じ団内ですが違う演技を学んでいました。アクロバットをやったり。その当時、クラウンが結婚して団をやめてしまったので、私が代わりにクラウンをやったりしました。あまりやりたくなかったのですが・・・。

―日本にくるのは何回目ですか?
 6回です。犬山、大阪、大分、北九州、東京。ボリショイサーカスでも来ています。

―日本の印象は?
 素晴らしいです。(近くにいたオリガ:なんで自分たちの国が日本みたいにならないのか悲しくなる時があります。)ここで(リトルワールド)で仕事をしているのは楽しいです。

彼らの初来日もリトルワールドでした(2004年『新シルクロードサーカス』)

ーワレンチンはキルギス人?
 民族と国籍はロシア人でキルギス市民です。(旧ソ連の人たちは国籍と現住所、市民登録先が別々だったりすることがよくあります)生まれも、現住所もキルギスです。

ー昔は日本にも沢山サーカスがあったのですが、現在は2しかありません。キルギスではいまサーカスはどういう状況でしょうか?
 まあ、なんとかやっています。新しいディレクターがキルギスサーカスに就任して、劇場を新しくしたり、いろいろなことを試みています。でもナショナルサーカスなのに、ウェブサイトすらないのです。これは勿体ないと思いますね。

―日本のお客さんに何かお願いします。
 お客さんは素晴らしいです。いつも楽しんで、感情を表に出して欲しいし、お客さんと交流があると、演技中も楽しいです。リトルワールドのお客さんは、ショウを楽しんでくれて反応があるので、とても嬉しいです。どうか、たくさんのお客さんに観に来て欲しいと思います。


出演者インタビュー

様々な国のサーカスの世界を渡り歩く出演者たちに、幾つか質問をしてみました。
第1回:トゥイチー(Tuychibay TADZHIBAEV )


―なぜサーカスアーティストになろうと思ったのですか?
 子供の時からパントマイムやクラウン、マジックが好きでしたが、将来は絵を書く道に進もうと思っていました。でも、だんだんサーカスが面白くなりサーカスのアーティストになりましたが、でもその当時は、サーカスアーティストは一時的な仕事だと思っていました。プロしてサーカスを始めたのは20歳半の時です。イリュージョニストとして、当時住んでいたウズベキスタンのタシケントで、プロのステージに出演を始めました。しかし、いつの間にか一生の仕事になってしまいました。

―日本についての印象をお聞かせ下さい
 本当に印象深い国です。2008年に初めて日本で仕事をして、今回が6回目の来日ですが、いまはもう日本とだけ仕事をしたいくらい好きです。日本の文化も人々も好きです。リトルワールドのスタッフの皆さん達を友人のように感じているし、仕事を紹介してくれたACCの皆さんは、エージェントというよりは兄弟や姉妹、家族の様に感じています。本当ですよ。

初来日もリトルワールドでした(2008年『ミステリアス・イリュージョン・サーカス』右から二人目がトゥイチー)

―日本のお客さん、このショウを観てくれるお客さんに対するメッセージをお願いします。
 何回も日本に来ていますが、一度私のショウを観てくれた人が別の場所で公演した時もお客さんとして観に来てくれたりして、とても嬉しく思っています。もっと私の演技を期待し観てくれる人が増えると嬉しいです。私たちのショウを沢山見て欲しい。

―日本はロシアや欧州に比べたらサーカスが盛んな国とはいえません。ただ小さいながらもサーカス学校が出来たり、ジャグリングが盛んになって、少しづつまた新しくサーカスを始める若者が増えています。ロシアではサーカスはどういう状況にありますか?
 残念ながらロシアでも、とても良い状況下にあるとは言えません。昔だったら、国立のサーカス学校に入学するには200倍とか250倍の競争率の中から入学したものでしたが、今はもう希望者がかなり少なくなってしまいました。

― 家族や若い人たちがサーカス見に行ったりするのは変わりないですか?
 はい、もちろんそれは変わりありません。ソ連時代は良い面も悪い面もあるけど、それでも月曜以外、火曜から日曜日まで毎日公演をしていました。いまは、モスクワ、ペテルブルグ、あと2〜3の大きな都市を除いて、土日しかショウが行なわれていません。ショウの数も、とても減ってしまいました。アーティストにとって残念な事です。もっと良くなる事を祈っています。

― サーカスはどうすれば、これからもっと良い状況になるでしょうか?
子供たちがサーカスを学ぶ環境を整えるのが良いと思います。サーカスを観て、サーカスアーティストになりたいとう子供たちはたくさんいるはずです。そういった子供たちがサーカスアーティストになれるように、大人が手助けをしてあげられる環境が必要です。サーカス学校やサーカスクラブなどがもっとあると良いでしょう。そういう子供たちが希望をもって、サーカスを出来る場所があれば、私たちアーティストも、もっと良いショウをしようという気持ちが生まれてきます。明日をもっと良くしようという気持ちです。サーカスはインターナショナルなもので、世界中の人が愛しています。サーカス芸術は常に愛されてきました。一時的に落ち込む事はあるでしょうけど、絶対になくなったりしないものです